見出し画像

59

こんにちは。

夏は果物が楽しい。
私は残念ながら蜜柑が好きではないので、冬は果物が遠い存在になる。春はいちご一色になるので、夏秋は楽しい。
桃、プラム、さくらんぼ類、メロン、スイカ、マンゴー、いちじく。
加えてうちの夫は青果に相当詳しいので、どの時期にどこ産のなんという品種を買えばいいのかまで教えてくれます。昨年まではあれは良かったけど、良すぎて需要が増えすぎるとブレるから今年はあっちの方がいい、というところまで教えてくれるので面白い。
興味を持つということは、情愛を感じるためにとても大切なことだと思う。


さてと。
毎日雲の中にいる気持ちだったのですが、少しだけ青空の下に出て来れた気がします。

唐突ですが、私には人生の目的があります。
それは、三つ巴の世界を体現すること。

それが人生の目的なのだと気づくためには、長い時間といくつかの経験とそれに対する自分の嫌になるほどの反応があったわけですが、2年くらい前にそれに気付きました。

子どもの頃から、とても仲の良いお友達がもう1人お友達を連れてきた結果自分だけ弾き出されるという瞬間にたくさん立ち会ってきました。
3人で仲良くするのは不可能なのだ、としょんぼり項垂れて家に帰ったもんです。
しかもそれは深刻に私に影響を与え続けました。露骨に体調を崩すのです。

友情の段階でそういう状況だったので、絶対に恋愛において三角関係は避けなくてはいけない、と思って私がものすごい勢いで避けても、私を離してはくれませんでした。

誰かが幸せになるときに、誰かが泣いているよ、という世の音楽家が切なげに歌っても、私にはそんな世界は嫌だなとしか思えない。

心を大雑把に扱えば、多分AかBか、0か100かの世界になってしまうと思うけど、よくよく慎重に扱えば、見落としてしまいそうな小さな「三つ巴の支点」があるような気がするのです。
私はそれを生活の中でいつも探している。
誰かが誰かを徒らに恨まないで済む世界を。


つい先日。
あ、寂しいと思った時に夫に近づいてハグしてみました。
日常の忙しなさで見逃されてしまってる「私の中の幼な子の私」を満たしてみた。
すると、ここのところ夫に感じていた違和感とか苛立ちがすっと無くなりました。
順番を飛ばされ、いつも後回しにさせられていた私の中の幼な子が、「あいつのせいだ、あいつ気に食わない!」と夫を指さしてただけだったんだ。
これも三つ巴の支点の1つだな、と。

自分以外の誰かのことを指して悪く言うとか、中身も精査せずに全部自分のせいにするとか、そういうことは恨み辛みの再生産になるだけなので、
じっと堪えてプルプル震えながらそっと心の声に耳を傾ける、ちゃんと確認してから次へ行く、ということを積み上げていく。

そしてそれは不可能なことではない、ということをこの世に遺す。
多分私がこの世にやってきてこの星で踠いているのはそのためです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?