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休息の時間

休む事は肉体にとってご褒美の瞬間です。
脳をリセットさせ、ホルモンバランスを整え、自律神経を整える時間でもあります。
しかし休息することに罪悪感を感じる人や、責める人も居ますね。
その考え方、ちょっと脇に置いてみてください。

そういえば、昭和の時代に流行ったキャッチコピーがあります。
皆様はご存知ですか?

24時間、戦えますか?

バブル時代の背景も影響しているキャッチコピーでもあります。

当時は働けばそれ以上に給与が発生し、得るものも沢山あった時代です。
今とは違う印象ですよね。
実際に現役だった人からすると、現代の若者たちに対し「残業100時間とか当たり前だった」等と話しをする姿も見たこともあります。
それも少し誇らしげに。

そんな社会でしたから、病気でも働く=頑張っている姿を見せられる、評価される、という風潮も存在しました。
逆もしかり、休めば「勿体無い」「根性がない」など言われたりもしたようです。

バブル時代にもさらなる背景が存在します。

戦後の高度経済成長期です。

発展していくエネルギー

戦後のエネルギーは凄まじいものでした。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、命のやり取りをしていた人たちは既に「最悪の恐怖」を体感しています。

新しいことにチャレンジする恐怖や不安を感じ一喜一憂するよりも、生きる為にエネルギーを全力で注ぐことをしたのです。


復興に向かった日本は、世界に類のない高度経済成長期を迎えます。
その経済成長は目覚しく、景気に景気を重ねていく結果となりました。

戦後にこんなにも経済成長すると誰が予想していたでしょうか?

しかし発展中で資源が沢山生み出される高度経済成長期中でも、不安が存在し現実となりました。

その一例が、オイルショックによる買い占めです。
第一次オイルショック1973年
第二次オイルショック1978年
実際に起こったことです。

物資不足の噂が立ち不安にかられた為に起きた騒動でした。
十分にあっても人々に不安は生まれたのです。

戦いは争い、優劣を決めたりすることもあります。
そして戦争は資源の奪い合いが原因で始まることもあるのです。
安心感を得るために、資源を譲り合うのではなく、買い占めに走ってしまったのです。

買い占めの騒動などもありましたが、その後はバブルを迎え一見飽和状態のような社会でした。
面接に行けば言い値で交通費が出たり、札束ひらつかせてタクシーを呼んだり。
現代とは全く違う社会でした。
しかしいつまでもその状態が続くわけではありませんでした。

1973年から続いていた安定成長期は終りを迎えます。
1986年からバブル景気も、1991年から1993年でバブルが崩壊しました。

挑戦とチャレンジの違い

挑戦することと、チャレンジは同義語として扱われる事があります。
間違いではありませんが、正解でもありません。

【挑戦】戦い挑むこと
【Challenge(チャレンジ)】自分に挑戦してくるものや挑んでくるもの、互いに競い合うこと、異議を唱える

とニュアンスに多少の違いがあるのです。
日本のチャレンジ(挑戦)の表現は少し独特とも言われています。
所謂、和製英語です。

チャレンジは自分から大きな壁や目標を作り戦いに挑むというのだけではなく、いずれ訪れるタイミングを待つ必要もあるのです。
全てが戦いではありません。
全てが自分から走り向かうのではありません。
タイミングは自ずとしてやってくるのです。
戦う準備をすれば、戦いを引き寄せます。

その最高に自分の人生に対応するためにも、一呼吸置いて、最高のコンデションで迎えられるようにする必要もあるのです。

戦うのではなく、柔軟に対応する

戦争を体感した人たちは、肌身にそのエネルギーを感じていました。
争い事の中、生き延びる必要がありました。
でもその先に平和や安心感がいつか訪れると信じ、戦いを挑まなくては成りませんでした。
最高の人生を送るために、走り続ける必要もあったかもしれません。

様々な時代があり、その過程の末に現代も存在します。
現代に生きる今、貴方はどんな風にチャレンジしますか?

自分の人生の主人公は自分だと思い出してください。

以下「はい」と心の中で唱えるとダウンロードされます
・挑戦とチャレンジの違いが分かります
・私は自分の人生に最高最善のタイミングで、最高最善のチャレンジをすることが出来ます
・休息をとることを自分に許すことが出来ます
・休息とチャレンジを最高最善に選択することが出来ます
・神聖なタイミングに対し、最高最善の対処する方法と最高最善のサポートがあります
・私はサポートされることを受け入れます
・楽に簡単にチャレンジすることが出来ます

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