わたしの読書遍歴/少年期編

 大槻ケンヂが、なぜ本を読むのかという問いに対して「子供の頃にいくつか面白い本に出会って、そこで活字の本を読むのが面白いということが刷り込まれて、そのまま惰性で本を読み続けている」というようなことを言っていた。

自分もわりと読書習慣がある方だが、これはすごいよく分かる。少年期に読んだいくつかの本が心に残っていて、そのときに味わった「本が面白い」という感覚を引きずったまま、ずっと何かを読んでいる気がする。

というか、自分の本を読むようになるきっかけ作った人の一人は間違いなく大槻ケンヂだ。オーケンのエッセイや小説を中高生の頃に読んだことがきっかけで「人の文章を読むのって面白いな」と思って、そのまま読み続けている。

オーケンに会う機会が会ったら「僕が本を読むようになったのはあなたの影響です」と伝えたいけど、そういう人はたくさんいるだろうし、言われすぎていて反応が薄いかもしれない。

最近、なぜか自分の今までのことを振り返っていることが多いので、自分の読書遍歴みたいなものを振り返って書いてみたいと思う。

『爆笑問題の日本原論』

これは人生で初めて買った漫画以外の本。小学校六年生だった。

子供の頃はボキャブラブームだったので、爆笑問題の存在はそれで知っていた。

芸人の出演がメインになったボキャブラは深夜放送から始まって、ゴールデン進出した番組だった。深夜時代は小学校低学年だったので見ておらず、番組がゴールデンになる頃には爆笑問題は売れてあまり出なくなっていた。なので、ボキャブラでの爆笑問題の印象はそこまでない。名前は知っているくらいの状態で、爆笑問題が何かの特番で漫才をしているのを見て、そこで大笑いして爆笑問題が好きなった。

『日本原論』は売れた本なので、どこの本屋にも置いてはあった。テレビで見て好きになった爆笑問題が出している本だと思って、興味は湧いたのだが、「原論」と難しい漢字が使われていたり、まだ活字のみの本を読むのは抵抗があったので、すぐには買わなかった。一回本屋に行って立ち読みして、また本屋に行って立ち読みしてを繰り返して、買うのを決めた。

時事ネタなので、小学六年の自分にとっては分かるところと分からないところがあった。しかし、世間を賑わせた大きなニュースが中心なので、大半は理解するできた。小学校高学年だったので、理解度はわりと高まってはいる。活字で面白いことが書いてある本を読むのが初めてで、なんか新鮮だった記憶がある。

時事ネタ中心なので、今読んでも伝わりにくいだろうなというところもあるのだけど、ただ、当時の爆笑問題のネタは時事ネタから話題を飛躍させていってSF小説のような展開にしていくものがわりと多くて、そこは時代性に関係なく普遍的な面白さがあるのではあないかとは思う。

太田光本人が、今「まででとんでもないウケ方をしたネタが三つあって、そのうちの一つがgahahaキングの八周目だ」という発言をしていて、そのネタも人口移植の技術が上がっているという話から、「色んなものが身体に移植されるようになったら」という展開をしていくネタで、時事問題から連想を繋いでいって、最後はシュールナンセンス系のとんでもない領域にまで話を展開していくという漫才だった。

ある時期以降、爆笑問題の漫才はそういうSF的に話が展開になっていくものが少なくなった気がする。太田光がエッセイで「歳を取ってすらすら言葉が出てこなくて困るようになった」ということを書いていたので、言葉がすらすら出てくるような演者として乗っている状態じゃないと、時事ネタから話をどんどん飛躍させていくという展開の漫才をやるのは難しいのかもしれない。

小六だったのでほとんど内容を理解はできたとは書いたけど、本が始まって最初のネタは村山首相辞意表明を扱っていて「村山首相が辞意表明しましたね」「えっオナニーしたんですか?」「そっちの自慰じゃねえよ」みたいなネタだったので、小学校6年生の自分にはよく分かっていなかった(自慰という言葉を知らなかったので)。

母親が、息子が本を買ってきたみたいだから読んでみようという感じで読み始めて冒頭から爆笑していたのを覚えている。聞いても意味を聞いてもちゃんと教えてはくれなかったけど。母親は再現VTR時代のボキャブラで「シカトしてんじゃねえよ(鹿としてんじゃねえよ)」というネタがあってはそれにも爆笑していた記憶もある。母は下ネタがツボだったようだ。

『それいけ×ココロジー』

心理テストの本。同名の深夜番組があって、その番組で取り上げられていた心理テストを書籍化したもの。番組自体は見たことはない。

中学一年生の頃、クラスで一番仲が良かった倉井という少年から借りた本だ。

自分の家から少し離れたところにイトーヨーカドーがあった。子どもの頃は親に車で連れていってもらわないと行けない場所だったのだけど、小学校高学年になると行っていいエリアが広がるので、ヨーカドーがある場所にも自転車を2、30分漕いで一人で行くようになっていた。

ヨーカドーに行くのは中にある本屋コーナーで立ち読みすることやヨーカドー内の飲食コーナー「ポッポ」のポテトを食べることなどが主な目的だった。

ある日、いつものごとくヨーカドーの本屋コーナーで立ち読みをしていたら同じクラスの倉井から声をかけられた。

中学に入学したてだったので、倉井とは同じクラスだがまだ顔と名前が一致する程度で、そこまで話したこともなかった。本屋コーナーで会ったので「本とか読むの?本好き?」みたいな会話になり「じゃあなんか貸してあげるよ」みたいな流れになって倉井の家まで行って本を借りることになった。

そのとき借りた本が『それいけココロジー』だ。心理テストの本なので、内容的には特に印象深い何かあるわけではないけど、中一の頃ずっと一緒にいた倉井と仲良くなったきっかけの本として思いで深い。

小学生はなぞなぞや心理テストが好きなので、そういう本は読んでいたのだが『それいけココロジー』は、もとは深夜番組なので、少し性的なものもあって、そこは子供向け心理テストとは違って読んでドキドキもした。

「それは、あなたの初体験の年齢です」みたいな答えのテストがあったのだが、確か17歳と答えて「あと4、5年後か」と思ってその時は少し興奮したが、実際には初体験は二十歳を超えてからになる。心理テストは当てにならないということを知った本でもある。

『エヌ氏の遊園地』

初めて読んだ星新一のショートショート集。

中学一年生のとき、星新一にとにかくハマった。倉井も星新一にハマっていて、二人でよく貸し借りをしたのを覚えている。中一の頃は、星新一の全作品を読みたいという衝動にかられていた。完全に星新一中毒になっていた。

今だったら、作者の作品数一覧はWikipediaなんかをみれば簡単に調べることができるけど、当時はまだネットが普及しておらず、作品数が多い作家の作品をすべて把握するのが難しかった。文庫の後ろに作者の刊行作品一覧があるけど、それはその出版社から刊行されたものの一覧でしかない。なので、行ける範囲の本屋やブックオフをひたすら回って星新一の全作品を見つけ出すというアナログスタイルで本を探し回った。知らない星新一の本があったら買って読み終わったら倉井に貸す、というのがサイクルになっていた時期がある。そういうのも今ではいい思い出だ。

星新一を大体読み終わった後、素人投稿作を集めた『ショートショートの広場』を読んで、筒井康隆のショートショートも読み始めたのだが、その辺でシュートショート熱がさめて次第に読まなくなっていった。そういえば、木村祐一が昔ラジオで「ショートショートは中学生の頃、夢中になるけど星新一を読んでからの筒井で熱が冷めんねん」という自分と全く同じ経験をした話をしていた。

『ぼくらの七日間戦争』

長編小説を始めて読み通したのはこの本だったと思う。小学生からの幼馴染で一個上の原くんから中学一年せの頃に勧められて借りて読んだ。夏休み直前、中学一年生の子供達が廃工場に立てこもって先生や親など大人たちに反抗するという話。

大人になってから読んだけど、若い頃に読んでたら響いただろうなという本はたくさんある。そういう意味だと『ぼくらの七日間戦争』は本当にドンピシャというか、中一という、この本が一番響きやすいタイミングで読むことができた本だ。高校生くらいで読んでもそこまでハマらなかったと思う。

しかし、思い返すと親や学校の高速がそこまで特別厳しかったわけでもなく、そこまで抑圧されていたのかとは思うが、どこにそんな響いたんだろうな。でも、学生時代というのは行きたくもない学校に毎日通わなくては行けないという時点で十分抑圧された状態ではある。当時は当時なりに響くものがあったんだろうな。中一のときの感覚はもうあまり思い出せないけど、久しぶりに読み返してみてもいいかもしれない。しかし、もう子どもを抑圧する側の大人の年齢になっている。当時とは感じ方は全然違うかもしれない。

『グミ・チョコレート・パイン』

冴えない日々を送る中高生のアンセム的な作品なので、好きな人は多いだろうけど、自分も高校生の頃に読んでド直球にハマった。

『グミ・チョコレート・パイン』は、クイックジャパンで笑い飯特集が組まれていて、笑い飯西田が影響を受けた本十冊の一位にこの本を選んでいたのがきっかけで存在を知った。

大槻ケンヂは子供の頃よくテレビには出ていたので存在は知っていた。既にエッセイなら何冊か読んでいたかもしれない。グミチョコはあらすじを聞いただけですぐに読みたくなって、本屋巡りをするもグミ編は発見できず、ブックオフにあったチョコ編から買って読んだ。シリーズものだと、初めからちゃんと見たいという人が多いけど、自分は途中からでも気にしないタイプだ。ジョジョも四部途中のジャンケン小僧がやってくるの回から読んでハマったし、本当に面白いものは途中から見ても面白いと思っている。ただ、やっぱりグミ編が一番内容が濃いというか、シリーズ通して読んだけど、一番思い入れがあるのがシリーズ第一作のグミ編。

思春期の冴えない悶々とした日々を送りつつ、映画館通いをしてその鬱屈を紛らわすという描写があるのだが、地方在住の自分はそんな身近に行ける範囲に映画館がなく文化的なものにアクセスする環境がないので、映画館通いができる主人公ケンゾーが羨ましくも感じた。自分の東京憧れみたいなものを芽生えさせた作品でもある。

『江戸川乱歩短編集』

大槻ケンヂ『のほほん雑記帳』で江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』が紹介されていた。それで読みたくなって、本屋に行くも本屋に置いておらず、ブックオフに100円で置いてあったこの短編集をかわりに購入し読んだ。

読んだのは高校三年の頃だけど、それまでは読んでもほぼエッセイばかりで、小説はショートショートと『グミチョコ』『ぼくらの七日間戦争』シリーズくらいしか読んだことがなかった。

この本も短編集とはいえ、小説なので読むのに抵抗があったけど、読み始めたらわりとすいすい読めた。小説って意外に読めるかもと思わせてくれた短編集でもある。代表作が収録されているので、インパクトのある作品が多い。『人間椅子』とかラストの衝撃度はどんでん返し系のラストの中では生涯ベストかもしれない。江戸川乱歩が書く作品には社会不適合者が登場する話が多くて、大槻ケンヂが紹介するのも分かるし「昔からこういう人たちっていたんだな」と思うと妙な安心感を覚えた記憶がある。

高三の頃は、ミステリー好きになって、島田総司、綾辻行人や有栖川有栖などの新本格作家を読んだり、少し前の鮎川哲也や都筑道夫などいろいろ読んだりしたのだけど、それも江戸川乱歩きっかけだし、乱歩を読んだのは大槻ケンヂきっかけで、自分の読書傾向の源流を辿ると大槻ケンヂの影響がかなり大きいのだなと思う。あとは、太田光の影響で、太宰治やカート・ヴォネガットとかも読んだ。

こうして読書遍歴を振り返ってみると、大槻ケンヂ、太田光の影響は自分の中ではかなり大きい。今でも、自分にとっての大槻ケンヂや太田光のような、若い世代の読書の間口を広げてくれるような影響力の高い存在の人がいるのかもしれません。


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