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母の日が悲しいイベントになってビックリした話。

こんにちは!どぅーです。
最近は、6月から始まるマンゴーの季節が待ち遠しく、そわそわしていますw
今滞在している地域は、バングラデシュの中でもマンゴーがとても有名な地域で、見渡せば視界にマンゴーの木が入ってくるような環境なんです。あと少し!わくわく!

今日は、ちょっと遅くなってしまった「母の日」に関すること。
現在所属しているNGOで母の日のイベントをやったときに感じた色々を、備忘録として残していきますよー!

そもそも「母の日」ってなんだ?

母の日は、日本では5月の第2日曜日に設置されている「母に感謝を伝える日」です。日頃の感謝を込めて、お母さんにお花やプレゼントを贈る文化がかなり浸透していますよね。
ウィキ先生はこんな風に説明しています。

母の日(ははのひ)は、日頃のの苦労をねぎらい、母への感謝を表す

ウィキペディア「母の日」より

私も、バングラデシュから日本にいる母へ、プレゼントを贈りました。喜んでくれてよかった~
普段はちょっと恥ずかしかったりするから、母の日のようにイベント化してくれると、伝えにくい感謝も伝えやすくて助かってます。

妹と協働です

母の日のイベントを開催したよ。

私が現在所属しているNGOでは、母の日のイベントを開催された。5月11日がフェアトレードデーのイベント日だったため、バッティングを避けるために(母の日のことを忘れていたとも言ってたけれど、そこはキレイな理由にしておこうw)、翌週の5月18日にイベントを開催!

バングラデシュでは、母はとても特別な存在。そもそもが家族の繋がりをかなり大切にする文化で、その中でも「母」という存在は群を抜いている。

バングラデシュの国歌では、お母さんを示す「মা=ma」がたくさん出てくる。愛し愛される存在であるお母さんの偉大さがよく表れているなあという印象。
※ここでの「ma」は、バングラデシュという国自体を示す。

このような文化のおかげもあってか、「母の日」の認知度はとても高い。

フェアトレードのイベントはこんな感じでした!

ちょっと脱線したけれど、
今回開催されたイベントでは何をしたのかというと、

「わたしの母」の話をみんなが発表する

という、自分が知っている母の日とは少し違うものだった。

母の日って悲しいイベントだっけ...?

日本でいう母の日のイベントって、何をするのかあまり良くわかっていないのだけど、それでもこれまで経験したことのない母の日かもと思った。

「私が大変だったとき、私の母はこんな言葉をかけてくれました」
「貧乏で苦しいとき、母はいつもご飯を分けてくれました」
「母はもう亡くなってしまいましたが、とても素敵な人でした」

みたいな「わたしの母」のエピソードトークを聞く、という会だった。

で、ビックリしたのは、いつの間にか大号泣の会に変わっていたこと。
話ながら泣き始める人、その姿を見て泣いてしまう人、という感じで、会場は重めの空気に包まれた。

この1枚だけ撮って写真を撮るのを止めた

そして、司会の方がその涙のトークを押し出すように会を進めている様子がちょっと気になった。例えば、「〇〇さん!あなたが話して!」とどんな母親エピソードを持っているのか分かった上で(つまり辛い過去がある)名指ししたり、「〇〇さんならシェアしてくれるよね!」といった風に無理にでも話させようとしたり(嫌がっている人も結構いた)、そんな状態。

空気はどんどん重くなるし、泣いていない自分がちょっと場違いみたいな雰囲気になるし、正直黙って座っているのが苦しかった。

なんでこんな会になったのか聞いてみた。

そんなこんなでイベントが終了。自分の中のモヤモヤを解消したくて、親しくしているスタッフに、「司会者がなんで涙をそそるようなイベントの空気をつくる行為をしていたのか」を聞いてみた。

回答は、
「ドネーションを得るため」

モヤモヤが大きくなった。
母の日のイベントを開催したこと自体も、涙を流すようなエモーショナルな空気を作ったのも全部、NGOが助成団体に見せる顔をつくるためなんだそう。

予算を割いて大きなバナーを作って掲げたり、躍動感ある写真のために涙を流す空気をつくったり、これもすべて助成団体に向けたものとのこと。

このスタッフの話を鵜呑みにするつもりはないけれど、スタッフの一人がそう感じてしまうくらい、助成団体がこのNGOに与える影響はとても大きいんだなと思った。

赤ちゃんパワーでちょっと中和です👶

NGOの運営の難しさ

NGOを運営していくためには、巨額のお金が必要。NGOとして意義のある活動をすればするほど出費がかさむというもの事実だ。このNGOでは、小学校運営、ヘルスセンター運営なんかは典型的な「出費は多いが社会的インパクトの大きい事業」である。

これらの事業を大きくすることで、NGOのミッションやビジョンの達成に近づいていけるのだけれど、金銭面がどんどん圧迫される。NGOのジレンマだなと思ったりもする。だから誰もやりたがらないから存在意義があるんだけれども。

で、そこを「補う」ために、助成金を得たりする。鍵括弧を付けたのは、助成頼りの運営は不健康だと思うから。あくまで、betterな運営を目指すために「補う」形で助成金を得るべきだから。

母の日のイベントに戻ってみると、この部分がちょっと疑問になる。
助成金は組織の活動を「補う」ために使われているのだろうか?

助成団体が喜ぶ活動をするために、(言ってしまえば)そこまで重要ではない活動も時間とお金をかけて実施することで、お金を得ていること。もし自分たちがやりたい活動を「補う」ための資金集めであれば、そうならないはずなんだよな、と思ったりする。

本チャンの運営費を助成金に頼ってしまうと、助成金がストップすることはNGOの存続危機になる。だから助成団体に対する態度が大きく変わってくるだろうし、いい顔をし続けなければいけない。

母の日のイベントの様子を見てみると、、、
私はちょっと危機感を感じたのでありました。

最後に聞いてみた。父と母って平等?

最後に小話を載せて終わります。

バングラデシュの人にとって母は偉大な存在で、母への愛情は計り知れない大きさだとわかった。では父親に対してはどうなんだろう?
気になったので、近くにいたベンガル人スタッフに尋ねてみた。

そうしたらこんな回答が返ってきた。
「父よりも母の方が偉大だね。全然違う。もちろん親として父も大事な存在なのだけれど、母はお腹を痛めて生んでくれて、ミルクを与えて育ててくれた存在だから対等ではないよね。」

ちなみに、父の日について知っているか聞いてみたら、誰も知らなかった。
そんなもんらしい。


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