見出し画像

起業も大学院への進学も「自分の今やりたいこと」ではない

2021年12月も下旬に差し掛かった。毎年恒例の年末進行だ。去年はできなかった対面での忘年会がいくつかあった。珍しいことに、大学の部活や寮の同期・後輩はソフトウェアエンジニアが多い。

情報系の大学院に進学して就職した者、文系から新卒でエンジニアになった者、全く別の職種で就職して、社会人からプログラミングの勉強を始めてエンジニアに転職した者。自分も最後のタイプの一人だ。同窓会を開くたびにエンジニアが増えていく。

彼らとエンジニアのキャリアについて話した。 その中で挙げられた選択肢は、同じ会社で働き続ける場合はエンジニアのままテックリードなど知識・スキルを深化させ会社のために活かす役職につくか、マネージャーになってメンバーの成果を最大化することに注力するか、間をとってプレイングマネージャーになるかだった。

もし会社を飛び出すなら、仲間を見つけて起業してCEOもしくはCTOになるか、フリーランスのエンジニアになるかだ。情報系学部以外卒のエンジニアのコンプレックスを解消するために大学院に行っても良い。この場合、働きながらでも良いし、フリーランスになって週2日働きながら大学院に通っても良い。実際、最後に挙げた例を選択をした知人もいる。

翻って自分と向き合ってみる。すると今やりたいことは現在の仕事と、Webサイトを個人で開発して多くの人に使って貰えるサービスを作るという挑戦をすること。そして、こうして文章を書くことだ。

私にとって綺麗なコードを書くことと綺麗な文章を書くことは感覚的にとても近い。 例えば、文章の構成を練ることとコードの設計をすることは似ている。他人の文章の引用や自分の知識、言い回しが正しいことを確認することと、言語、フレームワーク、ライブラリの使い方を調べることも似ている。人が読みやすく理解しやすい文章になるようブラッシュアップすることとコードのリファクタリングはさらに似ている。リファクタリングが私の一番好きな作業だ。

世界中で使われているブログツールであるWordPressの作者は「Code is Poetry」という言葉を好んで使っている。コードは詩であるというのだ。 実際、wordpress.orgの最下部にはこの言葉が刻まれている。コードはコンピュータへの命令である一方、読み手である人間に様々な感情を呼び起こす。良いコードと良い文章が読み手に与える印象はとても似ている。

振り返ると小学生の頃の夢はジャンルは問わず、何らかの本を出版することだった。しかし、大人になってコードを書くようになりWebサイトをPublishすることはあっても、本を出版することはできなかった。コードを書けばコンピュータは動く。だが、文章を書いても人の心が動くかはわからない。 結果のわからないことに対して人は腰が重くなるものだ。

私はかつてネット上に文章を書くこともしていた。中国万事通 というサイトを作って自分の中国旅行を記録していたのだ。当初WordPressで作成したこのブログサイト(現在はGatsbyで作り直している)が、自分に文筆家としての富や名声をもたらすことはついになかった。しかし、このサイトを立ち上げて自力でカスタマイズしたことが、自分にWebエンジニアとしての道を開いてくれたのだった。

エンジニアとして働き始めて来月で5年目だ。起業も大学院への進学も自分の今やりたいことではない。周りのエンジニアと考えることは違うかもしれない。だが、30歳を迎えたこの1年間は余暇を使ってもう一度子供の頃の夢を追ってみようと思う。 1~2週間に一度、noteにエッセイを投稿することにした。旅行のこと、キャリアのこと、家族のこと、お金のこと、色々書いていきたい。ただ、SNSで現実のコミュニティを引き継いでいる現代のインターネットは完全に匿名ではないので、仕事の話題はあまり多くないかもしれない。

私の好きなCreepy Nutsと菅田将暉の「サントラ」という曲の中で、歌手も役者も人の感情以外は何も生み出さない仕事と語られているが、エッセイというジャンルもその一つだ。 それでも、文章を書き残すことで自分の足跡を残し、それが読んで貰える人にとって少しでも役に立つなら恐縮であり光栄でもある。次の投稿の内容を考えつつ、今回は筆を置くことにする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?