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アメリカ留学さえしなければ

おひなさんの日、おめでとう


自分語りブログ。


私は小さい頃、おっとりとした穏やかな女の子だった。
母はよく「あなたの周りには常に人が集まる」と不思議がったけど、確かに私は誰にも嫌われなかった。

それどころか、私を巡る争いになる程人気者だった。

今でも覚えてることがいくつかある。

小学校、同じ方向の子達と歩く帰り道。
毎日誰が私の隣に並んで歩くかを女の子たちがじゃんけんして争った。

私はいつもじゃんけん不参加で真ん中だった。

小学校の給食時間、休み時間。人が机にたくさん集まった。

掃除の時、ランドセルを廊下に並べる順番だって、友達たちが争った。

誰が私と放課後遊ぶかで揉めた。

私はいつもみんなにニコニコしてたから、八方美人だと言われた。

人気者だった要因といえば八方美人に加えて、私は結構面白かった。
色んな歌を作曲して友達たちの中で流行らせたり、寸劇を考えたり、新しい遊びを提案してた。

顔は普通だったけど、そんな明るく穏やかな性格がゆえに異性にもモテた。多分学年で1番が2番目に告白されたのは私だったと思う。

そんな自分のことは結構好きだった。
あんまり意識してなかったけど、多分「友達が多い」「人気者」そういうアイデンティティが自分ならではの才能のおかげのようで、誇らしく感じていた。

状況は、幼稚園→小学校→中学校→高校とメンバーが変わっても一緒だった。

基本そこそこ人気者だったし、八方美人だった。

そんな私は、高校2年でアメリカに留学した。
(本筋にはあまり関係ないが私は3歳から英語を習っていて海外に興味があったから留学に行かせてもらった。)



hello, america

アメリカで私は人気者ではなくなった。
アジア人だし、英語が母国語ではないし、ニコニコ八方美人な性格は気味悪がられた。

言葉もカルチャーもわからないから、歌も寸劇も、新しい遊びも思いつかなかった。

それに加えて、
いつも授業では意見を求められて辛かった。
同じ意見、あるいは意見がないという意見が通らないのが苦しかった。
手を挙げる義務感が嫌いだった。
そもそもみんなと違うことを言うのは苦手だった。
楽しそうに自分の意見を言うアメリカ人が羨ましくも憎かった。

私にアメリカは合っていなかった。

だけど私はある程度物事をこなせてしまう気質があるのか、1年の滞在期間で順応してしまった。

滞在後半は自分の意見をスラスラと述べたし、割とはっきりとものを言うようになった。
アメリカ式の相槌、アメリカ式の会釈、アメリカ式の世間話もそこそこマスターした。

おかげで友達は増えた。学校の中心ではなかったけど、地味で孤立した留学生ではなくなった。

そして私は帰国した。



日本の大学に入学した。

自覚していなかったけど、
私は、日本式の八方美人人格のうえにアメリカ式の自我強め人格を兼ね備えていた。(笑)

その装備の結果、人気者ではなかったけど、孤立もしなかった。
数少ない価値観の合う友達と深い付き合いをした。

それでも私はやっぱり、人気者が羨ましかった。
私だってかつては人気者だったからだ。

でももう私はかつての私ではない。だから人気者にはなれない。
その事実がすごく苦しかった。

「友達が少ない」そう思われてるんじゃないかなって思うたびに八方美人の私が泣いた。

でも、

「周りに合わせる中身のない人」そう思われるんじゃないかと思うと今度は自我強めの私が泣いて、結局このままでいることしかできなかった。


私は今28歳。

アメリカ留学のおかげで大手外資系の仕事に就く今がある。

アメリカ留学のおかげで深く繋がった友達がいる。

アメリカ留学のおかげで色々な学問、価値観に興味を持って、嫌いだった読書が好きになった。

でも私がアメリカに行かなかったら、私はどんな性格で、どんな人生だったんだろう。

多分年収は半減したけど、友達は倍増しているはずだ。

思考レベルは低いかもしれないけど、幸福度は高いはずだ。

どこかパラレルの世界でアメリカに行かなかった私に聞いてみたい。

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