【小説】野辺帰り 4/8
#4 おくり
『おくりもん』の流れは決して返してはいけない。
だから先代のあと先々代へと戻ることはできない。
新しい『おくりもん』を迎えなければならない。
仕方なかった。
僕しか居なかった。
叔父は先代よりも前に、僕の弟も幼い頃に亡くなっているから。
祖母や母は存命だが、女性は死者を宿す恐れがあるということで『おくりもん』にはなれないし、先々代のように儀式の補助として付き添うことも許されていない。
先々代は、継がなくともよいとは言ってくれた。
だが叔父や先代の死には間接的にとはいえ、僕も関わっている。
僕は責任を取る道を選んだ。
そして桃歌に別れようと言った。
愛生穂の件が完全に片付いているわけじゃなかったから。
桃歌が心配だったから。
でも桃歌はこの先、一人に戻るくらいなら何があろうともついていくと、僕と一緒にこの地へと来た。
どうして桃歌を連れてきたのか、いまだに後悔している。
連れてこなくとも、別の方法があったのではないかと。
愛生穂は僕の幼馴染だ。
南の分家のお嬢さんで、だからこそ僕は彼女とはあまり仲良くならないように心がけていた。
だけど愛生穂は僕に執着した。
本家に子が生まれなかった場合、四つある分家から次の当主を選ぶ習わしなのだが、愛生穂はその権利を捨てようとした。
分家からも籍を抜いてでも僕と一緒になりたいと。
僕ら『おくりもん』と本家筋分家筋の血が混ざってはいけないのは戸籍みたいな紙の上の問題ではないため、籍を抜いても許されることなどないのだが、それでも愛生穂は強情に僕を求めた。
実際に夜這いされかけたこともあった。
愛生穂は美しかったが、その長い黒髪の中にいつも何か得体の知れない影を飼っている気がして、僕は習わしとか関係なく愛生穂から離れようとした。
そして僕はこの土地からも離れ、桃歌と出会い、自分にはできないと思っていたまともな恋愛に少しずつ馴染み始めた頃に、愛生穂の自殺の報せを聞いた。
先々代が来るなと言ったから、その葬儀にも送りにも参加はしていない。
今思えば、あのとき送りのために戻っていれば、叔父も先代も生きていられたのではないか、なんて。
「当代」
先々代の声で我に返る。
僕と一緒に歩いていたはずの黒い足たちは、立ち止まった僕を置いて赤信号を渡り、その上を県外ナンバーの車が猛スピードで走り抜ける。
さすがに遺族の方々の前で「集中しなさい」とは言われないが、今の声はそういう指導のときと同じ声だった。
薄れかけた横断歩道の上に一組だけ残っていた黒い足が踵を返して、僕の方へと戻ってくる。
影のような真っ黒い足の爪先に、赤いペディキュアが見える。
夜這いをかけてきたときの愛生穂みたい――ハッとして頭を上げ、視線を遠くへと定める。
僕は見ない。今は見ようとしているときじゃないから。
『おくりもん』として、この儀式を終わらせないといけないから。
信号が青になる。
馬と周囲の道路状況へと気を配りながら進む。
送り車の車輪にはクッションがないからこそ、大きな段差は避けるか、静かに進まなければならない。
見えるはずのない些末に気持ちを奪われてしまっては、儀式そのものを台無しにしかねない。
心を静寂に保ち、音は馬と送り車、あとは松明の様子だけに気を配る。
神経を張り詰めつつ短くはない距離を歩き続け、とうとう野辺へとつながる橋の袂まで到着した。
「野辺ーのー渡ーりー橋ー行かーんー」
朗々とした声、とやらが出せているだろうか。
送りの参列者はここで再び死華の確認を行う。
例え死華が取れかかっていなかったとしても、ここで参列者の数が減る。
それはこの地域の人々がそれだけ「野辺」と呼ばれるこの先の場所を恐れているから。
先々代は何も言わずに僕の横へと並ぶ。
二人揃って橋の向こうに対して大きな礼をする。
頭を上げ、橋の向こう――野辺を見つめると、圧倒的な威圧感に気圧されそうになる。
野辺は、文字通りの野原ではなく、完全なる山だ。
渡った先こそは少しだけ開けているが、その向こうは頂上まで鬱蒼とした深い緑に包まれている。
更には、そのわずかに開けた場所にある城壁のごとき御曽木堂がまた橋を渡る者を拒絶するかのように立ち塞がっている。
御曽木堂は外壁を漆喰で塗り固められ、窓の一つもなく蔵のような造りの異様に細長い建物である。
ここでは遺体を土には埋めない。
代わりに御曽木堂へ遺体を安置する。ある種の墓代わりでもある。
安置場がいっぱいになったら、御曽木堂の入り口側にまた新たな安置場を作り足す。
遺体を焼くようになってからは安置場が埋まるペースも下がったと聞いているが、それでも僕が生まれた後、一回作り足されているのを見ている。
一番古い左側の部分は千年以上前のものだと聞く。そこから川上方向に向かって何百メートルも伸びている。
愛生――いや、女性のクスクスという笑い声が耳をくすぐった。
行動の停滞は無駄な思考へとつながり、余計なモノを受け入れる余地へと変わる。
儀式を終わらせるまでは進み続けよう。
橋へと一歩踏み出した。
手綱を必要以上に強く握りしめ、鳥肌を意識しないようにする。
もはや十人ほどとなった参列者の足音がついてくる――実際には、聞こえている足音の半分も居ないかもしれないけれど。
ふと、昼間なのに聞こえてしまっている闇のざわめきに、いつの間にか慣れている自分に気付く。
いや実際には慣れたわけじゃない。
許容量を超えた遭遇に麻痺しているだけ。
桃歌もそう言っていた。「感受性が次第に干からびてゆく気がする。そうして心に隙間がたくさん空いていって、心が受け取る力を失くしてしまうの」と。
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