見出し画像

【小説】夏草の露 24/25

#23<前話     一覧     次話>エピローグ

#24 一緒に

 お地蔵さんの通路まで戻ると、丸守さんが静かに語り出した。
「帰り道は少し昔話をしてあげよう。丸馬と呼ばれる前はね、ここいらはコヤス沼と呼ばれていたんだ。子どもの安全って書いて子安」
「それ普通は子守の意味で使われる言葉だね」
「さすが先生。最初は本当にそういう場所だったんだよ」
「だから先生はよしとくれって」
 丸守さんは構わずしゃべり続ける。
「昔、昔の話だ。とある木こりが早くに妻を亡くした。まだ幼かった我が子を老いた両親に預けて山へ入る。だけどある日、男が仕事で山に出かけている間に、その子が急に家から居なくなったんだ。老いたじいさんばあさんは可愛い孫が心配で村中の助けを借りて探しまくるわけなんだが……見つからない。日も暮れて途方に暮れかけたその時、男が山から帰ってきた。しかもその子を連れて。子が言うには、父が恋しくて一人で森に探しに行ってしまったらしい。よく迷わずに行けたね、とばあさんが感心していると、森で迷ったと言い出す。迷ったあとどうしたんだい、とじいさんがたずねると、河童が現れておとうの所まで連れて行ってくれた、と明かした。どうして河童がその子を助けてくれたのかって話になったんだけど、男には思い当たるフシがあったんだ。実は男は毎日、昼飯をこの沼の畔の切り株で食べることにしていたんだが、その時、昼飯の一部を切り株に残していたんだな。山の樹を刈ることに対し、山の神様への供物のつもりだったとか。河童は毎日このお供えをもらっていたから、男に対し親しみを覚えていたのではないか、と。男が昼飯を食べようとこの沼に来た時、その子はこの切り株のところにちょこんと座っていたという話だ」
 まったくいい話じゃないか。
「それ以来、この沼は子安沼と呼ばれるようになり、村人たちの手によって粗末で小さいながらも社も建てられ、大切にされるようになった……そこで終わっていれば昔話でよくある大団円なんだけどね」
 ふと僕は視線を感じた。
 視線の主は地下道に並んでいるお地蔵さんではない気がする。
 しかも全身に寒気が近寄ってきているような。
 なんだか目眩めまいの気配までしてきた。
「木こりが生きていた時代よりずっと後の話だけどね、ある年だな、夏に雪が降るほどの冷夏があって、ここいらいったいも酷い飢饉にみまわれたんだ。毎日生きる糧すら手に入れられないほどの。すると口減らしっつって子どもを捨てる家も出てきた。そんな貧しい家族の一人が、とんでもないことを考えた。せめて捨てるにしても万が一、河童が助けてくれるかもと、この子安沼に捨てる者が出たんだ。もちろん助からなかった。だけどそんな言い伝えですら、貧しい人々にとっては救いだったんだろうね。皆がすがったんだ。誰だって好き好んで子どもを捨てるわけがない。悲しみと罪悪感とやるせなさと無力感と。そんな想いを少しでも減らしたくて皆がここに捨てた。ここだけじゃない。近隣の集落全部が、だ」
 その子たちにしたら、魔女狩りに遭った人たちと同じ理不尽な目だよな、と、トリーのことを思い出してしまう。
「しかも酷いことに」
 丸守さんの話は続く。
 しかも? これ以上酷くなるって?
「戻って来る子が居たんだ」
 それが酷いこと、って――あ。
「だから、戻って来られないようにする必要があった。捨てるとき子に縄をつけて近くの樹へと結んだ奴が現れたんだと。親が野良仕事をするとき、子どもをそこいらに縛り付けることはよくあったらしくてな。子どもも特に慣れたもので縛られることに不安なぞ持たなかったんじゃないかな。親の方だって可愛い我が子を、生きるためとはいえ、断腸の想いで捨ててくる。せめてもの償いにと子どもが一番好きなおもちゃを一緒において来る。子どもはそのおもちゃで遊びながら木の周りをぐるぐると周り、縄が樹に巻き付ききると、今度は逆回りに回る。そんなことを繰り返し、ここいらの地面には丸い渦巻き模様がいくつもできた」
 目眩がだんだん強くなってきた。
 しかもそれだけじゃない。
 これは、何か、深い悲しみのようなものが、伝わってきている、ような。
「そういう歴史を経て、悲しみが溜まって、やがて馬が来ただけでくるくる回って死んでしまうような、そんな場所になっちまったんだよ。捨てられた子どもたちにとっては、おもちゃの馬も生きた馬も大して変わらないんだろうな。メリーゴーラウンドは特に気に入ったみたいでな、開園当時は毎晩回っていたんだ。今でもちょいちょい回っているようだけれど、廃墟化して電気が来なくなってからは灯りがついたのなんて初めてだよ」
「なんで、点いたんですかね」
「そこまではわからない。西洋のいわくつきのお城……あそこが魔女狩りでたくさんの命の失われた場所だってのをわかった上で選んだらしいんだ。やったのは本家の方でね、うちの親父はやめとけって言ったらしいんだけどね。霊に霊で蓋をするっていう作戦だったんだろうな。だけど結果としては打ち消し合うどころか、単純に悪化しただけ。マイナス1とマイナス1を掛けたつもりでマイナス2になっちまったってわけ。ただ、今思えば、それはそれでバランスが取れてたのかもね。なんせ、廃墟化以降、メリーゴーラウンドは光ったことなんて一度もなかったから」
 さっきの毒をもって毒をってやつか――でも、この表現は嫌だな。
 口減らしされた子どもたちや、トリーたち魔女狩り被害者を「毒」だなんて。
 あまりにも身勝手で腹立たしい。
 きっとトリーなら、もっと素敵な、優しくて心にすっと入ってくる表現で現してくれるはず。
 僕の大好きな文章で。
「そうやって上にかぶさってた蓋が突然、大量に浄化されて軽くなったから、三十年分の鬱憤うっぷんをドカーンと発散しちゃったのかも、ってあたりが、おいらの予想だけどね」
「あれ? 丸守さんは本家じゃないんだよね? そもそもそんなことした本家の人が儀式とかするのがスジなんじゃないの?」
「あー……本家はなくなっちゃってね。おっと出口だ。バスに戻るぞ」
 聞けなきゃ聞けないで気になるし、聞いたら聞いたで言葉が出てこなくなる。
 無言のままバスの所まで戻ると、さっきと位置が変わっている。
「見てみ。地面に丸くブレーキ痕があるだろ。車だと、まっすぐ走っているつもりなのに、丸く走っちゃうんだよ。さっき鎮めたから、今なら脱出できるとは思うんだけれど……」
 三人でバスの中へ戻ると、すかさず情けない声が出迎える。
「前に進めないんだよぉ」
 ちょいワル風の小沼さんだ。
「いま鎮めてきたからそろそろ大丈夫じゃないかな。奈良家の少年も戻ってきているみたいだし、とりあえず出してみよう」
「待って」
 ネイデさんがそれを制した。
「瑛祐君達が戻って来る直前、やっぱり探しに行くって明日香ちゃんが……トワさんも一緒に着いて行ったから心配ないとは思うけれど」
「なんだって?」
 丸守さんがおでこをぺちんと叩く。
「丸守さん、僕、探してきます。僕はここまで車で来ているので、なんだったら先に出ちゃっても構わないです」
 今度は指名される前に手を上げた。
 トワさんにはなんだかんだお世話になった。見捨てるわけにはいかない。
「赤間ちゃん、すまない。もしもの場合にはそうさせてもらう。とりあえず駐車場の門の鎖は外して待機はしておく……無理すんなよ!」
「ハイ」
 僕がバスを降りようとしたその時だった。
 僕の手をつかんだ人が居た。
「トリー?」
 そう声に出してからすぐ、しまったと思った。
治恵はるえです。わたしも行く」
 そうだよ。
 この子はもう、治恵なんだ。
 僕はエナガの顔を見る。
 どうしたらいいか困っているようだ。
「おねえちゃんがここに来たのは十一歳の時。それからずっと眠っていたようなもので……でも、さっきから友達を助けに行くってきかないんですよ」
「赤間ちゃん、いいんじゃないか。君が一緒なら」
 丸守さんから謎のOKが出る。
 僕が一緒なら平気って、僕にそんな力、あるんだろうか。
「もってかれかけている時は、下手に行動を否定すると暴れて、びっくりするような力を発揮して逃げ出す時がある。それならば、その人が安心できる人がそばにいつつ、ある程度は好きにさせてあげる方がいいんだ。もちろん、完全に閉じ込めておけるのならば、それに越したことはないんだけどな……とにかくしっかり手を握って、離すんじゃないよ」
 治恵ちゃんが僕の手をぎゅっと握る。
 切なくて、恥ずかしくて、寂しくて、でもなぜか嬉しさもある。
「赤間さん、お願いします。おねえちゃんを……姉を、頼みます!」
 さっきまでとは打って変わって良い子ちゃんになったエナガに頭を下げられて、治恵ちゃんには手を引かれて。
「早く行こー」
「わかった。絶対に連れて帰りますから」
 かくして僕と治恵ちゃんは手をつなぎながら正面ゲートへと歩き始めた。
 いつの間にか風が強い。
 流れの早い雲が月を幾度となく隠す。
「あのね」
 治恵ちゃんが僕に顔を近づけてくる。
「トリーネちゃんがね、フーゴのことよろしくって言ってた」
 誰から聞いたの?
 と聞き返そうとして、言葉が出てこないことに気付く。
 何か一言でも発するために口を開いたら、そこから一気に決壊しそうで。ずっと押し留めていた心の堤防が。
 僕はこぼれそうになるもの全てをこらえて、うん、とうなずいた。

 固く手を握りしめ合って、二人で歩き出す。
 正面ゲートを抜けた頃、ぽつぽつと雨が降り出す。
 このまま雨に打たれてしまえば、泣いてしまってもバレないかな。
 そんなことまで考えてしまう。
「わたしね、ずっと森の中に隠れていたんだ。しゅばるつしるとっていう深い暗い怖いところよ。そこにね、時々来てくれたの。お友達のトリーネちゃんが。森から出る道を教えてあげるから一緒に行こうって。でもね、わたし、怖かったんだ。遊園地でね、カッくんの面倒みてねってパパとママに言われたのに、一人でそんな森の中へ迷い込んじゃって。いま戻ったら怒られちゃうから帰りたくないって、トリーネちゃんの誘いを断っていたのはわたしなの。本当に何度も来てくれたのに、わたしはこっちでそんなに時間が経っているとかわからなかったから。だからね、トリーネちゃんは悪くないんだよ」
 僕はまだ言葉をうまく出せないまま、治恵ちゃんの話を聞いている。
「わたしの中にはトリーネちゃんの記憶が残っているの。だから、わかっている。フーゴがどれだけわたし……わたし達を見守ってきてくれたか。ちゃんと伝わっているよ」
 そう言われた瞬間、僕の涙腺は決壊した。
 言葉はなかなか出てこないってのに、どうして涙だけはこんな簡単にぼたぼたとこぼれ出てしまうのか。
「は……治恵……ちゃん……さっきは……名前を……」
 間違えてごめん、と、言いたいのに、嗚咽が混じってうまくしゃべれない。
「フーゴは、トリーネちゃんじゃないわたしとは、一緒にいてくれないの?」
 なんで。
 なんでそんなこと言うんだよ。
 いや、言うか。
 ずっと手鏡の中に閉じ込められていて、不安いっぱいだったはずなんだから。
 それなのに僕の方が、こんなにみっともなくて。
 答えたい。
 でも、すぐには言葉が出てこなくて――気持ちは「居たい」。
 トリーとも約束したし、それに――ああ。黙ってたら否定かと思われちゃうよ。
 いいのかな、僕なんかで。そんな想いがぐるぐると回ってしまう前に、相模治恵を抱きしめた――トリーでもあり、治恵ちゃんでもある相模治恵を。
 そして思い出した。
 僕の告白を断ったトリーが、翌日の図書室で僕の隣に座ったとき、「どうして」と尋ねた僕へ返した言葉を。「居るよ。フーゴが嫌じゃないのなら」って。
 ズルいよな。嫌なわけないじゃないか。
「居るよ。治恵ちゃんが嫌じゃないのなら」
「嫌じゃないよ」
 治恵ちゃんが、僕をぎゅっと抱きしめる。
 体に当たる雨が心地よいくらい、体が熱い。

 突然、治恵ちゃんがしがみつくのを止めた。
 ドキッとした僕の手を、治恵ちゃんはぎゅっと握りしめる。
「ほら、みて! 連れてきてくれたみたい!」
 そう言って治恵ちゃんは僕とつないでいる方の手を前へと出す。
 雨足が強くなる中、明日香ちゃんとトワさんが走ってやってきた。
 その向こう、血まみれブランコも、血まみれティーカップも、ナイトメア・ザ・メリーゴーラウンドも、くるくるくるくる回り続けている。
「っえひん!」
 到着するなりのトワさんの第一声がそれだった。
「トワさん、今のくしゃみ?」
 明日香ちゃんがツッコミを入れる。
 いつの間にか仲良くなっている。
 トワさんにはそういう才能があるのかもしれない。
「風邪ひいちゃうね。ちょっと車を取って来る。待っ」
 ぐいっと両手を引っ張られる。
 治恵ちゃんと、トワさんが両側から僕の手をつかんでいた。
「みんなで、一緒に行こう」
 治恵ちゃんがにっこりと笑う。
 僕もせいいっぱいの笑顔を浮かべて「そうだね」と言った。
 涙が止まらない僕だったから、この雨はありがたかった。

 僕ら四人が横並びに揃って入り口ゲートまで戻ると、丸森さんは門にジャラジャラと鎖を巻き、南京錠を幾つか取り付けた。
 歩き始めた僕らをすぐにマイクロバスが追い抜いてゆく。
 僕はリュックからポンチョタイプの雨合羽を二つ取り出し、それを二人で一つずつかぶってバスの後を追う。
 丸守さんの話では、乗り物に乗らず徒歩でならここを出るのは容易い、とのことだったが、本当にその通りだった。
 ここへ来るとき車をちょっと離れたところに停めたのは、結果的には正しかったんだな。
 雨合羽の中で治恵ちゃんと二人きり状態で、とても緊張する。
 横顔はやっぱりトリーで、そしてやっぱりうちのシャンプーの香りがする。
 ここへ来た時は、こんな結末を迎えるだなんて予想すらできなかった。
 今はまだ今日起きたこと全てを受け止めきれてはいないのだけれど、ただ一つだけ決めたことがある。
 これから先どんなことがあっても、僕は治恵ちゃんを守って行こうって。
 ただし、治恵ちゃんが嫌じゃないのなら、だけど。
「ね、あれ見て」
 トワさんが立ち止まった。
 僕らは雨合羽から顔を出し、トワさんが僕とつないだ手を掲げた先の空を見上げた。
 蛇の背中みたいに切り取られた空に、なぜか月がぽっかりと見えている。
「もしかして、台風の目?」
 トワさんの声を聞いて思い出す。
 台風というものが、とてつもない回転をしているものだったということを。
 マイクロバスがホラーランドから脱出できたのは、慰霊の儀式のおかげというよりも、あの空に大きくぐるぐる回る台風に夢中になってくれているおかげなのかもしれないな。

#23<前話     一覧     次話>エピローグ


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?