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自閉症スペクトラムの支援を受けるのに迷走した話

小2次男、自閉症スペクトラム(ASD)である。

これは私がメンタル崩壊しそうで、もう無理、限界って思った時に支援を得るために迷走した話。


夏休み明け、少し学校に通ったけど、一か月半以上、不登校になっていた。その間、夫は肝臓の癌を取り除く10時間にも及ぶ手術、入院をし、長男も睡眠が不安定で寝続け学校に行けない日々。家族3人がすべて私の方にのしかかってきたのだ。今まで以上に。

次男は、とにかく癇癪が強くて、魚みたいにぴちぴち床で跳ねながら泣き叫び、頭を床や壁にぶつけたり、自分で叩いたりした。不登校だから、毎日ずーーーっと一緒にいて、毎日何回も自傷や癇癪やパニックを起こす。

限界だった。このままだと次男を虐待してしまう。今だって怒鳴ったりしちゃうのに、手がでちゃうかも、っていうかもう出かけてる。やばい。

私は疲労困憊した。泣いた。焦った。迷った。

手あたり次第に助けを求めた。

最初は支援級の先生、放課後デイの支援員さんに相談した。支援員さんは親身になって話を聞いてくれたし、学校に行けない時間デイに来てもいいですよ、って言ってくれた。2回位、昼間にデイに行ってみたんだけど、次男が「家でマイクラやってた方がいい」って嫌がり、行き詰った。

市の子育て相談課、市の発達障害センターへ電話した。

そしてさらに迷走することになった。支援は自分で「この支援受けたいです」と担当部署に突撃して、勝ち取るくらいじゃないと受けられない(自治体によるけど)


泣きながら「もう次男を育てられません。限界です」って訴えた。訴えたけど、市の発達障害センターで教えてもらった情報は嘘だった(詳細は身バレするから書かないけど)嘘っていうより間違いっていうのかな・・・でも泣きながら支援を求めている人にやってはいけない対応。

私が素直だったら、そこで諦めて、メンタル崩壊まで行ってたかもしれないと思うと、素直じゃなくて諦め悪くてよかったよ。

子育て支援課の人も親身になってくれたけど、教えてくれた情報は役に立たなかった。私がググったら、新しい情報がすぐにでてきて拍子抜けした。そのググるワードを教えてもらっただけでもありがたいんだけど、どうして市の人は知らないのか?

市がだめなら県だ!と、県の療育センターに連絡したら、面談は1か月後。

面談をして、ようやく支援を受けられることになり、月1で療育を受けることになった。臨床心理士さんに次男を見てもらえるだけでほっとした。期間は1年だけど、小1でASDと判明した次男は療育らしい療育を受けていなかったので、そういう意味でもよかった。


そして放課後デイの支援員さんにアドバイスもらい「相談支援員」さんをつけてもらうよう、市の障害福祉課に連絡してアポとって、ようやく会えたのは3週間後だった。相談支援員さんをつけてもらえることになり、これで次男のことを相談できる人ができた、とちょっとほっとした。

そして障害福祉課の人と相談支援員さんと私の面談で「家族がこうでああで、次男がこうで、私はもう限界です」って涙ぐんで伝えたら、「お母さん、それは支援を受けましょう!」って言ってくれて本当に嬉しかった。私の状況を辛いと言ってくれる人がいるんだ。

「居宅支援(ヘルパーさん)」を申請しましょう!申請が通るかは分かりませんが、次男君が不登校だから、ヘルパーさんが週に1-2回でも来てくれたらいいですよね、と。

数週間後、申請は通った。そしてまたそのヘルパーさんの事業所と契約。来月から来てくれることに。

公的な支援は本当にありがたい。でもメンタル崩壊しそうな時に、すべて自分で調べて、泣きながら電話して、それでも支援を受けられなくて、ようやくとりつけたアポは1か月後とかで、一番辛い時に支えにならなかったんだよね。

もっと早く相談支援員さんをつければよかったのだろうけど、そのこと誰も教えてくれなかったんだもん・・・セルフプランしかないのかと思っていたよ。

「もう次男を育てられない、生きていたくない、辛い」ってなった時、すぐに支援を受けられたらよかったな、と思う。発達障害を育てるのって、定型発達を育てるより何百倍も辛い(少なくとも私の場合は。長男は定型発達)

次男はね、かわいいのよ。かわいいんだけど育てるのは大変なの。だから支援を受けながら、毎日笑顔で過ごしていけたらいいな、と今は思っている。

ただただ、毎日を癇癪や怒ることよりも、楽しい時間を過ごしたり笑顔でいたいだけ。




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