2022.7.21 孩児独語を読む1 芝不器男の推敲と枕詞

芝不器男句文集に収録されている「孩児独語」は、もともと俳句雑誌「天の川」の原稿として書かれたもののようですが、誌上には載ることがありませんでした。原稿の最後の部分を読むと大正15年4月18日となっており、下宿先の瑞雲寺(仙台)で書いたみたいです。この日は芝不器男23歳の誕生日の前日。芝不器男のなかで詩歌に対するエネルギーが高まっていくのを感じます。

さて、タイトルの孩児独語についてですが、幼い子どもの独り言という意味があり、天の川主宰の吉岡禅寺洞の頼みによって執筆された俳句入門的な内容になっています。ただ俳句をはじめたばかりの芝不器男としては、俳句についてまだ右も左も分かっていない「ひよっこ」が書いた俳句についての私論という謙遜的意味合いが強く出ています。

「独語孩児」は、俳句についての入門的内容とはいえ、「このように俳句を作りますよ」といった技巧(テクニック)的な内容ではなく和歌や短歌などの広い見渡しから俳句の可能性について言及されているのが特徴です。

短歌を俳句にリメイクすることについて

万葉集や芭蕉の作品をはじめとする古典詩歌に親しんだ芝不器男は広い見渡しで俳句に活かすことのできる技法を探求していました。

そして短歌雑誌『アララギ』の購読会員だった芝不器男は、短歌作品を俳句作品としてリメイクすることに興味を持っていました。しかし、誰かが作った短歌を俳句にすることについて、芝不器男は、「それがおそろしくー作者に対しても、作品に対してもー手が出せないのです。」と述べています。そこで芝不器男は。自身が作った短歌を俳句につくり変えることをしています。

白楊の梢揺るゝとも久方の雲に触れねばあはれなりけり

この短歌を芝不器男は次のようにリメイクします。

枝つゞきて青空に入る枯木かな 

芝不器男は、既知性の強い俳句にはない叙情的な味わいを短歌に見出していました。(実は馬酔木の前身の「破魔弓」にも投句していた芝不器男の作品には馬酔木の叙情派的側面もあるように感じています)
そして短歌作品と俳句作品をいったりきたりすることで作品の完成度を上げていきました。前述の「枝つゞきて青空に入る枯木かな」は既に大正15年2月に掲載された作品ですが、この独語孩児のなかでさらに「久方の雲にとどかぬ枯木かな」の推敲案を提示しています。このように芝不器男は1句に執着し、何度も見直し、推敲し、その推敲は時に数年単位に及ぶこともありました。

枕詞について

さて、先ほど示した推敲案の「久方の雲にとどかぬ枯木かな」について、芝不器男は「久方の」という枕詞の使用について次のように述べている。

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