日々の機微(51) 春の雷とねじまき鳥

春の雷

昨日は1日中バケツをひっくり返したような雨でした。めちゃくちゃ近くで雷がなっていて、「春の雷だ!」と思いました。

歳時記を開いてみると春の雷は次のように解説されています。

春に鳴る雷のこと。夏の雷と違って一つ二つで鳴り止むことが多い。初雷は立春後初めて鳴る雷のこと。気圧が不安定な啓蟄のころよく鳴るので、虫出しの雷・虫出しともいう。木の芽時の雷を「芽起こしの雷」ということもある。

角川ソフィア文庫『俳句歳時記春』

昨日は2月というのに気温が20℃を越えていました。歳時記に書いてあるような1度2度で収まる雷ではなく夏の雷のようでした。

以前、星野高士さんが報道ステーションで、こんなに異常気象が起こると困るというようなことを言っていましたが、そろそろ俳人の方が目を覚まさなくてはならなくなって気がします。

多義語「写生」には現実を直視するという意味が含まれているのかどうか。本当の意味で、いま試されているのではないでしょうか。

ねじまき鳥クロニクルについてのメモ

大学1年生のときに授業で読んだ村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』をようやく10年越しに読み終えました(と言っても、オーディブルですけどね。)

そこで、これ以降はネタバレを大いに含むので、これから『ねじまき鳥クロニクル』を読もうと思ってる方は読まないように注意してください。

そして、取り止めもない記憶のメモであり、特に自分が読み返すことにしか意味をなさないものです。

気になった部分中心のあらすじ

『ねじまき鳥クロニクル』は主人公が奥さんを取り戻すために悪戦苦闘する物語です。

その悪戦苦闘の中にユングとかフロイトとかの精神分析的要素があるのですが、大きく気になったのは2つの部分でした。

1 井戸の役割

2 加納マルタとクレタと奥さん(クミコ)の関係性

たびたび不思議なことが起こる物語に登場する井戸。

第三章で母胎回帰的なイメージであることが明示されていますが、そのことについてが、今回書こうと思っている一点、そしめ娼婦として登場する加納姉妹(これも叶姉妹を狙ってのネーミングなのかもと思いました)の役割についてがもう一点。

それぞれちょっとだけ書こうと思います。

井戸の役割

この物語では井戸が二ヶ所で登場します。ひとつは満州。もうひとつは主人公が住んでいる場所の裏にある屋敷の土地。

満州では間宮中尉がしばらく井戸の中で過ごしますがこっちは、大学時代に読んだ第一巻の内容であんまり覚えていません。ごめんなさい。

話の中心は主人公が暮らす場所の裏にある屋敷の土地の井戸です。考えを巡らせるために主人公は井戸に自ら入るのですが、そこで主人公は不思議な体験をします。

物語の終盤では、井戸の世界から、ホテルの廊下を通り、行き着いた先の部屋の暗闇で、誰かと対峙しバットでその誰かを倒します。このシーンは同じく村上春樹『カエルくん東京を救う』と類似性を感じました。

そして、主人公の目が覚めると、それまで水のなかった井戸から水が溢れて溺れそうになります。

このシーンは主人公の生まれ変わりを暗示しているような気がしました。そういえば井戸の中に入ると頭側に空が見えますが、それは母胎のイメージとも取れます。

そして、井戸で溺れて気を失うのですが、それは出産の苦しみを思わせます。

村上春樹の作品では、地図や誰かを倒すといったことが登場しますが、今回の井戸は母胎回帰のイメージが色濃く反映されているように感じました。

加納マルタ•クレタとクミコ

主人公のもとをクミコさん(主人公の奥さん)が去ってから2人の女性が現れます。1人は加納マルタ、もう1人は妹の加納クレタ。

主人公は姉のマルタと肉体的な性交渉をし、妹のクレタと夢の中で性交渉をします。妹との夢の中でのシーンは筒井康隆の『パプリカ』を想わせます。最終的にどちらも主人公のもとから去ります。

そして、物語の途中で妹のマルタから、子どもが生まれる夢をみて、その子の名前をコルシカと付けたということを伝える手紙(だったような気がする)が来ます。

そして最終盤で奥さんのクミコが警察に捕まります。その奥さんが釈放されて、主人公と奥さんの間に子どもが生まれたらコルシカと名前をつけようと決心します。

奥さんがいなくなるという空白の期間を埋めるように、奥さんの肉体と精神が別々に分離し出現した存在として、加納姉妹が現れますが、奥さんを取り戻すためには、2人が存在していては成り立たないというのがこの物語の構成だと感じました。

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