2022.8.20(土) 正岡子規『歌よみに与ふる書』を読む②

正岡子規『歌よみに与ふる書』について書き始めました。
『歌よみに与ふる書』はコラムのように短くまとまっていて、正岡子規の伝えたいこともはっきりとしているので、文章で何かを伝えるという行為においてとても参考になります。

第1章では時代の流行に流されず万葉集を勉強して作品に取り入れることの必要性が書かれていました。

では、第2章ではどのように展開していくのでしょうか。

古今集への批判

第二章の「再び歌よみに与ふる書」では、次のように万葉集の次の時代の古今和歌集を批判します。

貫之は下手な歌よみにて『古今集」へくだらぬ集に有之候

「再び歌よみに与ふる書」

どこが下らないかと言うと、それまで一世風靡した万葉集と比較すると歌の内容が新しく、古今集が流行ったことも理解できるけど、本質的には面白くなく、古今集の歌は理屈っぽい!と子規は言いたいようです。

しかし、子規が本当に攻撃したいのは、現代に生きる作家で古今集をはじめとした間違ったお手本をもとに歌を作っている歌人です。

特に古今和歌集とまったく同じようなレベルを作っている歌人はここではアウトオブ眼中です。

子規は古今和歌集よりも新古今和歌集の方にときどきいい歌があるといいます。

また、古今和歌集を手本にした江戸時代の歌人、香川景樹にもときどき良い歌があると言います。

それは後世の作家がいい歌を勉強してさらにいい歌をつくるのは、当たり前だという前提があるからです。

香川景樹は古今和歌集を良いと思ってお手本にする見識の低さだけれども、お手本にしたものよりもいい歌ができるのは時代の進歩として当然だといいます。

そしてその景樹をお手本にしている現代の作家は、髪を束ねるときに縮れ毛がいいと思ってわざわざ縮れ気にする人たちだと批判します。

まとめ

子規は「再び歌よみに与ふる書」で、お手本を間違えるなということを解いています。

子規は「古今東西の文学など能く比較して御覧可被成」といいます。

ああ、耳が痛い

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