2022.8.22(月) 正岡子規『歌よみに与ふる書』を読む③

ここまで『歌よみに与ふる書』を読んできて子規はすごいと改めて実感しています。文章の巧みさというか狙いがはっきりしていて一行目を読んだら最後まで飽きのこない文章になっています。

子規の文章の一行目はラジオパーソナリティーのように、とても過激な一行のために目が釘付けになってしまいます。

それは「三たび歌よみに与ふる書」でも同じです。

前略。歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候。

「三たび歌よみに与ふる書」

子規は歌よみに与えるといいながら、歌よみをいきなり批判します。

このように結論を最初に言ってから、理由をつらつらと書くのが子規のスタイルのようです。

では、子規はどうして歌よみほど馬鹿でのんきなものはいないと批判したのでしょうか

歌人は勉強すると言われているが・・・

俳人は学部レベル、歌人は修士レベルというようなことを耳にしたことがありますが、要するに歌人はとても勉強熱心であるということを比喩した表現であります。

しかし、子規は歌人は歌集ばかり読んで、歌がこの上なく良いものであると思い込んでいると言います。

西洋の詩、漢詩、あるいは川柳や俳句など、歌人は門外のことになるとそのよさについて全く理解がないと批判します。

それはめちゃめちゃブーメランで俳人側にも刺さっているのは間違いないですが、自分がいる世界についてだけ勉強しているようではダメだということが言いたいようです。

短歌について理解したつもりでも、他の世界のことを学ばず短歌の短歌性を語ることは思い込みでしかない。そんな歌人にたとえば蕪村派の俳句集や盛唐の詩集を読ませたい!と子規は言います。

まとめ

要するに井の中の蛙ではダメだということが論旨ですが、巧みに子規がお手本とする蕪村のことにも触れられているのがポイントです。

しかし、読み始めたら最後まで興味を持たせる子規ぼ文章は参考にしたいところです。

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