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がんばろう北陸③長い一日(2024. 1. 2)


能登半島地震が起きたあとのことを書きます。辛くなる方は読むのを控えてください。(1616文字)


朝9時、布団から出る。
昨日の地震は夢であってほしかった。今もそう思う。
スマホを見ると、ほぼ毎日買い物をしているスーパーの公式アプリに、お知らせが届いていた。
今日、予定通り朝9時に開店するとのこと(!)
石川、富山県内の店舗の状況と、開店時間の一覧もあった。すごいな。

テレビをつけると箱根駅伝!既にスタートしていた。
いつもの1月2日の光景。毎年楽しみにしているのに、昨日も「明日は箱根駅伝だ」と思っていたのに。忘れていた。
選手たちはもう「花の2区」を走っている。ところが、なぜだろう。レースの内容が頭に入ってこない。ただ目に映っているだけ。脳内が低電力モードに切り替わっているみたいだ。

10時過ぎ、スーパーへ行く。
さほど混んではいない。みな静かに買い物をしている。ところどころ足元のタイルが傷んでいて、コーンが立ててある。
飲料水のペットボトルの棚は空になっていた。隣町が断水しているというから、早々に売り切れたのだろう。

私はストックを持つのは苦手。なぜなら、管理がむずかしいから。それでも、今回の災害を機に「ローリングストック」という方式に挑戦してみようと思う。ストックがあれば、自分だけでなく、周りの人を助けることができる(場合もあるだろう)から。


この日、カートに入れたものは、食パン、バターロール、レーズンロール、ジャム、野菜ジュース、オレンジジュース、ヨーグルト、みかん、ゆで小豆(缶詰)、カップ麺、トマト、カボチャ、さつまいも、豆腐、厚揚げ、ミツカン鍋つゆ、ゆでうどん、かまぼこ、鶏肉、豚肉、トイレットペーパー。

私はいったい何を作りたいのか、何を備蓄するつもりなのかw
ただ、思いつくままにカートに入れてしまった。レジで合計金額をみて驚く(汗)
ローリングストックは、行き当たりばったりでは無理だ。道のりは遠い(汗)

帰宅後、一人暮らしの叔母のことを思い出し、電話で安否を確認。
無事とのこと、良かった。
もう一人、知り合いを思い出し、電話をかけてみる。
無事だが、前の道路が陥没しているそう。心配になって様子を見に行く。

知り合い宅に行くには、大通りを左に曲がる。曲がった先は道幅が5〜6mほど、その道を挟んで両側に家々が軒を連ねている。
今日はいつもと様子が違っていた。まず、道のいたるところに亀裂が走り、道の中央が盛り上がっている。そして、左側に立ち並ぶ家々が一様に、道路より30cmほど沈んでいるのだった。その中に知り合いの家があった。あまりのことに、唖然とする。
近所の方が大勢出て、道路に溢れて出た泥をスコップでかき出しておられる、黙々と。
陥没しているのは道路ではなく、家の方だった。液状化が起きたのだ。

玄関ドアのピンポンを押すには、道路から飛び降りなくてはならなかった。
話を聞くと、電気は来ているが、水が出ないとのこと。片付けに使う水はお向かいから、分けてもらっているという。
この日は、「また来るからね」と言って一旦帰宅した。
地震の爪痕は町のあちこちにあった。崩れたブロック塀、倒れた灯籠、傾いた家。日常の風景が変わると、こんなにも気持ちが沈むものなのか。

その日の夜のニュース。アメリカのバイデン大統領のお見舞いの言葉が紹介されていた。
「恐ろしい地震の被害を受けた日本の人びとのために祈っている。(…中略)この困難な時期に私たちの思いは日本と共にある」というもの。
素直に感動した。

言葉は大事だ。どんなに遠く離れていても、たとえ住む国が違っても、会ったことはなくても、その思いは届く。このことを、身をもって知ったのだった。


読んでくださってありがとうございます。
知り合い宅へは、次の日、共通の友人とともに2ℓの水のペットボトル6本入り一箱(備蓄していた夫提供)とウエットティッシュなど届けました。
今日も、北陸の伝統工芸品を一つ、ご紹介します。




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