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no.18 義母、看取りの時期へ

ある木曜日、義母はデイサービスに行った…と思ったら、すぐに戻ってきた。体温が37.5℃あったのだそう。37.5℃以上あると、預かってもらえないのだ。

夫がケアマネ氏に連絡をとり、医師の診察を受けた。念の為、インフルエンザとコロナの検査をしたが、どちらも陰性。
水分の摂取量が足りないと、熱が上がることがあると言われたので、意識して水分を多めに摂らせて、処方された解熱剤を飲ませる。幸い、夜には熱が下がった。

ただ、この日を境に義母は一段階、力が落ちたように見えるのだった。
義母は、ほぼ一日中眠っている。一定の時間、眠ったら起きる睡眠とは違う。
唯一、目覚める(目覚めてもらう)のが食事のとき。
最近は、夫が何度も繰り返し声をかけながら、何とか食べさせている。

私も時々、食事の介助をする。
これまでは、
「おかあさん、ご飯食べよう」
と声をかけると、目を開けて、こちらをちらっと見てくれた。
リモコンでベッドの上体を起こしたり、高さを上げたりすると、
「もう結構」
なんて、言ったりもした。今はそれがないのである。

目覚めていない状態で食事をすると、誤嚥の危険がある。だから、目覚めるのを待つしかない。やっと、目を開けても、今度は口を開いてくれない。
これまでは、スプーンにおかずを乗せて、口元にちょんと当てると、反射的に口を開けてくれていたのだけど。
この前は、一旦口に入ったものを、自分の指を入れて出してしまった。
超・潔癖症の義母らしからぬ行為に驚く。

先日、訪問診療があり、医師に最近の義母の様子を伝えた。
医師から言われたのは、次の通り。
「本人が食べたがらない時は、無理強いしないでください」
「そうなると、栄養の摂取量は減りますが、年齢的にも、それは自然なことですから、あまり気にしなくてもよいです」
「今できることは、見守ることです」

これは、以前に夫からも「医師の話」として聞いていた。
ただ、私には「見守る」ってどういうことなのか、どうもわからない。
見ているだけで良いのか?

その辺りのことを尋ねると、医師は部屋を出て、(義母や義父に聞こえないように)小さな声で話してくれた。
医師:「いまは、看取りの時期に入っています」
私 :「・・・」(動揺しすぎて無言)
医師:「命のことなので、先のことは分かりませんが、おそらく今年を越えることは難しいと思います」
私 :(!?)
医師:「心配になる様子(例えば呼吸など)があれば、連絡してください」

「看取り」とは、無理な延命治療などは行わず、高齢者が自然に亡くなるまでの過程を見守ることなのだそうだ。


ところが、わたしは〈看取り ≒ 臨終〉と思っていたから、「看取り」と聞いて、自分の心臓の音が聞こえるくらい、動揺してしまった。
そこへ「今年は越えられないと思う」と聞いて、「あれ?」となったのだ。
この先、義母が「あ〜よく寝た」と起き上がることはない。
わかっているけれど、具体的な時期を聞くと、やはり動揺する。

その日の夜、夫に医師から言われたことを話した。
夫が「今は看取りの時期」って聞いていたかどうか(夫から聞いたことはなかったので)、その辺りを探りながら、言葉を選んで話しているつもりだったのに、結局、全部言ってしまっていた(汗)

夫は、「今年を越えられない…」に強く反応した。
そして、なぜか
「大変や。もっと、ご飯を食べてもらおう」と言ったのだった。
何か間違えて伝えてしまったのかな(汗)

これからの日々、義母とどのように向き合い、どのように過ごせば良いのだろう。
「見守る」って、だんだん弱っていく義母と向き合うことなのだ。
覚悟なんて、全然できていないことに気づかされたのであった。

在宅介護*観察日記『義母帰る』

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