イジメにあっても声は出せない

僕は中学生の頃イジメにあって不登校になりました。
今思ったらあんなことたいした事なかったなぁとか、他のイジメにあってる人達にとっては軽いと思うよ。でもねあの頃の僕は弱かった。とにかく弱くって。臆病。自分が否定されてると思って辛かった。


僕が不登校になった原因は、僕の滑舌の悪さと体型でからかわれた。今回は、滑舌の話題で書かせてもらうね。
今でも滑舌は悪い方だとわかってる。でも中学の時の方が悪かった。
とにかく中学校入ったときから、滑舌の悪さでからかわれた。同じ小学校の子とかは僕が元々滑舌悪いの知ってるから、イジってこなかった。
けど、違う小学校の子はやっぱり気になったのかなぁ?
面白かったのかなぁって?今だったら思う。

でも僕もまだ子供だったから耐えられなかった。
だって1回1回話すごとに笑われてる。馬鹿にされてると思うと、声を出すのが怖くなって。それで声が小さくなったら、何言ってるかわからないって言われて。さらに話すのが怖くなった。
それで次第に学校に行くのが辛い。声出すのも怖い。人と話すのが怖くなったんだよね。きっと。
それで次第に学校を休みがちになった。
学校を休むようになったら次は、親の視線家族の動き?言動が怖くなったんだよ。何故今日も休んだのかとか?テストも休んで怒られた。母は少し申し訳無さそうに学校に電話したりしてた。
それが嫌だったのかわからないけど、中学校の1年は学校行ったり。休んだりして。1年は終わりました。

2年になると僕急に学校行かなくなったんだよね。
今自分のことを書いてるのに何故か2年生の前半の記憶が無いんだよ。何があったのか?何をされて嫌になったのかわからない。
とにかくずっと休んで。先生に親と一緒に呼ばれて。保険登校になって学校に行き始めてのは覚えてる。その後2年生は保険登校で行くようになって。終わった。

次は3年生。
今振り返ると自分でも面白い?変に思うんだけど、何故か教室に行くようになって。あまり休まなくなったんだよね。今でも何故自分教室に行けたんだろって、不思議に思うことはあるけど、覚えてるのは保険登校の同級生が教室に行くってなって。自分も行くようになった。
あのときは、よく行ったなぁって自分で褒めたくなるよ。やっぱりって言えばいいのかわからないけど、また教室では滑舌のことでからかわれたよ。1年に比べたら自分も成長したけどさぁ、やっぱり辛くって休んだりもした。あと、印象的だったのが何故か教室で肩パンが流行ってて。案の定って言っていいかわからないけど、自分も的になったね。風呂に入ろうとしたら、母に肩の痣は何って言われたの少し覚えてる。そのときになんて言い返したかもう忘れたけどさぁ、適当に誤魔化して。サッサっと風呂に入ったなぁ。
今思ったら、これもイジメだったなぁって。

もうわからないよ。どこまでがイジメで。どこまでが遊びか。中学校の自分は肩パンされてもイジメだと思わなかった。たぶん頭が麻痺してたんだよ。1年に比べたら、2年に比べたら辛くない。だから、イジメではないって。


すごく長々となったけど言えるのは、とにかく助けを求められないんだよ。求めても上手く言葉に出せない。よくイジメにあったら電話相談できるところににも言えなかった。
他の人からみれば、言うだけなら簡単なのにとか?そんなの弱いだけとか?いろんな意見あるかもしれない。でもね本当に助けを求められなかった。
当時の僕は、変に心配させたくないと親にも中々言えず。先生にも言えなかった。友達にも言うの恥ずかしかったし。1人で我慢すれば終わると思ったら、いつの間にか自分の方が不登校になって終わった。

僕の場合はテレビでよくやるイジメのニュースの内容よりは、まだ小さい方だと思う。それでもとにかく辛かったんだよ。当時の自分にとっては支えきれなかった。最終的に周りのサポートもあったから、どうにか最後学校に行けたら良かったけど、ニュース見るたびに思う。僕も、もしかしたら○殺してたかもって。あとは、イジメに合わなければ良い高校に行って。大学にも行けて。しっかり働けていたのかなぁって。
大人になって1回心を壊してしまったんだぁ。

長々と読んでくれありがとう。
最後にイジメあってる人いたらさぁ、無理に言葉で出さなくってもいいと思うよ。僕もイジメにあったときに親にしつこく聞かれて嫌だった。最終的に母が連絡網の紙を持ってきて、
「苦手な子に丸を付けて。」
って言われたのが鮮明に覚えてる。




ヤバいもう朝の4時だよ。
はやく寝ないと。寝れないときに自分の頭のなかにフッて思い立って書いてしまうんだよね。
おやすみ

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