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結果とその受け止め方をともに重視せよ

私のいる会社の社訓に
「結果とその受け止め方をともに重視せよ」
というのがある。

最近、私はこの言葉を意識することが多い。

つい先日も、こんなことがあった。
私の担当する生徒の保護者と面談をする機会があった。
そのお母さんは、本人(新中1)の話は割とさらっと終わらせて、
これから入試を迎える中3のお兄ちゃんの相談をし始めた。

お兄ちゃんの担当は別のスタッフで、
その中3のお兄ちゃんのことは、成績は分かるが、性格的なことや、
これまでの勉強の指導について細かいことは分からなかった。

でもお母さんはお構いなしに話を進めてきた。
「最近、より一層、余裕があるようで、もっと危機感を持ってくれないと
いけないと思うんです。」と。
何となく、担当から話を聞いていたこともあったので、
私の分かる範囲で、一般論も含めて自分の意見を述べた。

「ところで、お母さん。お兄ちゃんが不合格になったらどうします?」
と聞いた。
そこでお母さんは絶句した。当たり前だ。
入試前に言う言葉ではないとは思う。
ただ、私は、担当する受験生には、保護者にも生徒本人にも
その現実を突きつけるようにしている。

決して保険をかけるつもりはない。
全力で合格させるべく、指導はする。

ただ、この地域の倍率は2倍やそれを超えるわけで、
受験生の半分以上が不合格になる。

「お兄ちゃんも、頑張ってここまでやってきました。
 でも、何らかの理由で今、ちょっと家で休みたいのかもしれません。
 でもお母さんとしては、その心の隙が1点2点を決めるわけで、
 そんなことでは到底ライバルには勝てない。と思っているんだと思います。
 でも、どんなに努力しても、落ちるときは落ちます。」

なぜ、そんなことを言ったのか。
誰に対してもそういうことを言うわけではない。
でも、そのお母さんの言葉の端々に、合格しないと絶対にダメ。
というニュアンスのことが感じられたからだ。

だから、それは違います。と言う風に伝えたかった。
合格させないといけないのは我々の仕事なので、
そこについては合格させるために全力を尽くす。
ただ、お母さんが、あの子は合格しないといけない。
と思いすぎる必要はない。

本人はきっと分かっている。
このままだといけないことは。
でも、現実逃避をしたくなるときだってある。
もう締め切りが迫っているところだからこそ、
ちょっと一休みしたくなることだってある。
そして、それはいい判断ではないことだって、本人はきっと
分かっている。
でも、外で受験勉強をやって、家に帰って
ちょっとしたくつろぎの時間が、その子は欲しいんだろう。

それを積極的に促すつもりはない。

でも、やっぱり、もうここまで来たら、本人を信じるしかない。
本人に任せるしかない。
そういうところまで来ている。

だからこそ、お母さんや我々大人の側は
不合格というとっても不都合な現実に蓋をして、
そういう現実がやってきてはいけないと否定して
そのことから逃げるようなことはしてはいけないと思う。

受験生の半分以上が不合格になる。
自分が合格の側にならないことも50%の確率で起こる。
そうなったら、人生終わりか?

そんなバカな話はない。
結果だけがすべての受験というシステムの中では
その戦いのルールに従うしかない。
不合格になったからといって、
あんだけ勉強したんだから、不合格になるなんておかしい。
と言っても、仕方ない。
つまりは、その受験というルールの中では負けは確定したわけだ。

大事なことは、この負けをどう受け止めて、
どうやって今後の人生の糧にしていくかが大事だ。

だから、私の想いとしては、
負けることも可能性の一つとしてあるわけで、
ちゃんとそのことを受けとめる準備はさせておきたい。
だから、私は受験生にそのことを前々から伝える。
で、きっちりと受け止めさせる覚悟を持たせる。

ここまで頑張ったわけで、
でも、周囲のライバルもきっと同じくらい頑張っているから、
あとは、本番の日は全力を出し切って、あとは運に任せるしかない。
もしかすると、その年は、自分より頑張る人が多い年になってしまうかもしれない。
ライバルがどの程度の頑張り方をしているかなんてことは分からない。

当日なんて、どんなコンディションで臨めるかは
その子次第。
大人というより、そもそもそんなことは他人には分からない。
そこまで親が関与する必要はない。
後は、ちゃんと自分自身で勝負をして、
あとは結果を受け止める準備をするんだ。
これだって、受験の大事な大事な儀式のようなもの。

受験というしくみの中では、結果しか意味がない。
合格者最低点を取れれば合格だし、1点下回れば不合格。
その1点に勝負をかけるわけだが、
1点に泣く結果になった場合、人生負けか?

結局、1点差しかついてない。
行く学校が変わってしまうのは、とても残念な事実だけど、
その現実を直視できないのは、もっと残念なことだと思った方がいい。

1点差で負けたけど、1点差で負けるというところまでは頑張ったじゃない?
だから、その頑張りを評価してあげたら?
決して「人生負け」と言っちゃうような
戦いっぷりではなかったはず。
悔しいのは分かるが、もう目の前に高校生としての生活が待っていて、
よーいドンで4月から新生活をスタートすることは確実にやってくる事実だ。

いつまでも「人生負け」みたいな表情で過ごすのか。
1点差で負けたことって、そんなに人生を背負うほどのことなのか。
そんなわけがない。
世の中に受験で負けになった人間がどれだけいると思っている?
山ほどいる。
その半分以上の人間は、いわゆる負け組のレッテルを自分自身に貼り
それを一生背負って生きていくのか?
そんなバカな。

勝負には勝ち負けがあり、
ある勝負には負けることだってある。
むしろ、負けた方がいいって場合もある。

結果がすべてではない。
これも真実。
だけど、受験の世界では結果がすべて。
だけど、だからこそ、自分自身やその戦いを見てきた周囲の人は
ちゃんとプロセスを評価してあげることが大事。
負けたから、頭が悪い。才能がなかった。
そういう反応をする人間にはなってほしくない。

あ~、一生懸命やったつもりだったけど、
周りはもっと頑張ったんだな。
じゃあ、次、もっと頑張るか。

どこかのタイミングでその切り替えをする勇気を振り絞って、
新生活を、これまで以上に充実させ、
笑顔で迎えよう。
そうしていれば、次はきっといいことがあるかもしれない。
でも、いつまでもメソメソ、ウジウジしてたら、
いいことだって見えなくなることもある。

もったいない。もったいない。
こういう大事なところで、しっかり挫折することができたってことで
いいんじゃないか。
で、その試練のようなものを乗り越える絶好の機会を迎えることになった
ということでいいんじゃないか。
とっても素敵な人生じゃないか。

そういうメッセージをこれから入試を迎える子たちに伝えていきたい。

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