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【きれい】っていったいどの【きれい】?

こんにちは、panです。

「では、授業を終わります。みんな、忘れ物をしないようにね。」
っていう声かけをするのをよく見かける。
でも、きっと忘れ物をする。
【忘れ物をしない】状態というのは結果論であって、
そのためにどういう行動をすればいいのかが指示されてないから、
結果、何も行動に移せない。

とくに帰り際なんてのは、
みんな早く帰りたいもんだから、強く意識しないと行動に移せない。
そして、みんな【忘れ物をする】人を自分ではない誰かのことだと思ってる。

言葉はあいまいだ。
忘れ物をしないの定義は、言葉そのままなのに、
その状態にするためにはいくつものスモールステップを踏まないと
達成できない。

忘れ物をする断トツ1位は、
【机の中にノートやテキストや筆記用具を入れて帰っちゃう】
である。だから、これを指示することが大事。
「はい、みんな机の中を見る。」
「机の中に手を突っ込む。」
これだけで、概ね未然に防げる。
でもそれだけでは達成できない場合がある。
だから、ダメ押しの一手。
「机の中にものが入っている人は、いったん全部机の上に出す。」
これでほぼ忘れ物がない状態を達成できる。

言葉はあいまい。

そういえばふと思い出したことがある。
私が学生だったころ、
サンゴの化石があったら、そのサンゴが生きてた当時の海は

あたたかくて、浅い、きれいな海だった


ということが分かるって教わった。

でも、今、教える立場に立って、あることが変わっていることを知った。
というより、教える立場に立って、自分は違う教わり方をしたことを思い出したという方が正しい。
今、理科の授業では、

あたたかくて、浅い海だった

と教えている。

そういえば、自分が教わったときには確かに

きれいな


という言葉が入っていた。

ここの変更に何の意味があるのか調べてみた。

よくよく考えてみると、
水がきれいである。
の定義は実はあいまいであることが分かった。

小学生の時に、蒸留の実験で、
水を沸騰させて、他のところに移したらきわめて純粋な水が
得られることを知った。
私は単純な人間なので、こんな簡単な方法で超きれいな水が作れるんじゃん。
って思って感動した。

ただ、その水は実はおいしくはない。

人間がおいしいと感じる水は、蒸留で不純物を無くしたというだけでは完成できてなくて、
さらに言えば、誰かがおいしいと思う水は、ひょっとすると他の誰かにとってはおいしいと思わないかもしれない。
軟水が好きな人もいれば、硬水が好きな人もいるわけだし。

でもそもそも、
きれい=おいしい
で結びつけることは正しいのか。

たとえば、魚にとっておいしい水、過ごしやすい水は適度にプランクトンがいる水であって、魚にとってのきれいは、人間にとってのきれいとは違う。

ここで、改めて調べたところ、
きれいというのは、日光がちゃんとサンゴに届く程度に澄んでいることが
条件として必要な要素であり、それをきれいと表現したところに、ちょっとしたズレが生じるらしい。

だから、誤解を招く表現、あいまいな表現をなくす意味で
ある時から
【きれい】
がなくなった。と解釈した。
(解釈したというのは、私がググってみた結果、それに関するドストライクのサイトが見つからず、いくつかの要素を組み合わせて、おそらくそんな経緯があって【きれい】をカットしたんだろうな~という考えに行きついたわけです。)

【きれい】は、どの【きれい】のことを言ってるの?
と、ふと思ったので書いてみました。

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