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あの頃は若かった という言い方は嫌い

先日、元上司と5~6年ぶりくらいに会い、
少し話をした。

実際に仕事をしていたのは、8年くらい前。
その時まで5年ほど一緒に働かせてもらった。

血気盛んだった私は、
(あの頃は若くて、今はそうではない。丸くなったという言い方は好きではないのだが。)
授業中に𠮟りつけたり、怒鳴りつけたりすることも多々あった。
でも、熱心なことから派生するものでもあったので、
熱心が軸で、叱る・怒るはオプションのような位置づけで、
いろいろな意味で名物先生であり、
慕われもした。(怖がられてたが8割を占めると思うが)

その上司には、そんな感じであったから、
いろいろと迷惑をかけて、
でも、決して否定をされることはなく、
だから、自己肯定感をなくさずに済んだ。

そして上司が変わり、
私とウマが合うか合わないかといえば、合わないほうで、
そしてちょうど私自身あれやこれやと思い悩むことも多く、
結果、約1年半休職するという事態になった。
これはこれは参った参った。
そのときも、元上司が別の県の部署から大変心配してくれて、
私はただただうちに引きこもっていたが、
その時は、そうやって手を差し伸べてくれることがありがたかった。

そして休職が明けて、、、
休職前の自分を取り戻そうと必死だった。
生徒や保護者の信用をある意味失わせてしまったので、
それを挽回しようと必死だった。

ただ、それはムシが良すぎる話で、
別に休職が悪いわけじゃない。
でも確実に時は過ぎているし、
覆水盆に返らずとはこのことで、
こうなってしまったことを後から巻き返す
(なかったことにする)
ことはできないわけで。

そういうできもしないこととひたすら戦っていた気がする。
今思えば、その頃の自分こそ、
もう一度休職した方がええんでないかい?と思うほど。

そしてそこからも約3年が経つ。


私は授業で怒鳴りつけることはしない。
今思えば、怒鳴る叱るはやっぱり感情的になって起こってしまっている現象で、
後からあれやこれやと言い分をつけることはできるが、
でもどう考えても、ただのやりすぎ。
そして
そういう感情的になってやり過ぎると
実はちゃんと自分に返ってきてたことも知ってた。
そういう風に感情的になった日は、落ち込んでた。
そういうキャラであったこともあり、
周囲の仲間はイジってくれて、それをうやむやにすることで
私自身もごまかしていたのかもしれない。

それに気づいたのはついここ1年ほどのこと。
あるときに、最近感情的になってないな。
以前だったら、宿題を何人も提出しない事態があったら、
まぁ、信じられないくらい叱り飛ばしてた。
休職明けなんかも、それは顕著で、
自分の伝え方がまずかったことも重々承知だけど、
なんとか提出させねばいかんと、
ドカン
といく。

休職明けだから、それがことごとく体に来た。
そういうことを重ねてきて、
どうやら、誰にとってもいいことないって
無意識に感じ取っていたのかもしれない。

だから、自然と、自分から感情的になることから
フェードアウトしていったんだと思う。

今は、感情的になってない分、
じゃあ、どうやったら宿題を提出させることができるだろう。
成績をあげさせるためにどんなことができるだろう。
やれることは何だろう。
って考えること自体を楽しんでいることに気づいた。

授業をどうやって組み立てるか。
それは、こういう仕事なんだから当たり前にやるべきことで、
実は楽しんでいるという感覚はなかった。

だから、これは仕事で、やるべきことであって、
楽しいことは休みの日にyoutubeなんかを見て楽しむ。
でも、休職中にこれまでもかというほど生活リズムも崩しつつ
観てたけど、楽しいときは楽しいけど、
充実とかそういうものとはかけ離れたものだった。

今、授業そのものを楽しいと思える。
緊張しいだから、自覚してなかったけど、
授業はやっぱり好きだ。
なぜなら、授業のたびに私自身に学びがあるから。
子どもは、本当に本当に宝だ。
多くの学びを常にくれる。

当然、都合のいいことばかりじゃない。
感情的になる要素はあるけど、
今は、感情的になってドカンとやってしまえば、
簡単!
って思うのは短絡的で、そしてつまらないと思う。
豊かさがないと思う。

そう言うと、なんか今の自分が
何かに到達したみたいな感じがして嫌なのだが、
少なくとも、今の感じはとても心地よい。

そんな話を元上司としてて、
そういう話をしている自分が
あっ、そんなこと思ってるんだと気づき、
今ここに残している。

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