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意味と機能

資さんうどんが大好き。

でも、小倉に住んでた時は、
好き
を認識してなかった。

新潟に住み、
それから10数年経っても、
さほど意識してなかった。
いや、美味しいのは間違いない。

何がきっかけで変わったか?
私が結婚して、妻と小倉に来て、
資さんうどんに連れて行ったことから変わった。

初めて妻を小倉に連れてきて、
初めて資さんうどんに連れて行って、
妻が感動してた。
また小倉に来たら食べに行きたいって。
それから、
小倉の話をするたびに資さんうどん
の話になる。
昔から美味しかった。
けど、そのきっかけがなかったら
多分、小倉に行ったら
資さんうどん
でしょ?
とはならなかったかもしれない。
だって、確実にきっかけはあったわけだから。

これ難しい話だけど、
もし、仮に資さんうどんが
新潟にできたら、
多分、資さんうどんは
割と頻繁に行く。美味しいから。
でも、小倉に来るたびに資さんうどんには
行かないんじゃないかな。

これは
西野さん(キングコング)から学んだこと。
著者「夢と金」にも書いてあるし、
3年ほど西野亮廣さんのオンラインサロンに
いて、学び続ける中で刷り込まれた。

私たち夫婦にとっての資さんうどんは
私たちが年に一回しか帰れない小倉に
行く時の象徴のようなもの。
初めて妻を小倉に連れて来た思い出で、
美味しかったという思い出で、
滅多に食べれない希少性もあり、
唯一無二のうどん屋さんなわけ。

私にとっての資さんうどんに行くことは
意味
があって行っている。
資さんうどんうどんは美味しいけど、
美味しいのみでいくなら、
機能
を買いに行くわけだから
まったく違う。

前者はたまたま、うどん屋さんだっただけで
うどん屋さんじゃない何かでも
よかった。
そして、資さんうどんより
美味しいうどん屋さんが見つかっても、
その美味しいうどん屋さんには
行くと思うけど、
資さんうどんには、
小倉に帰るたびに、マストで行く。

美味しさも大前提で、
その上に私たちだけにしか共有できない
思い出という意味が入っているから
唯一無二になる。

そして、じゃあ、その思い出の
資さんうどんが
新潟にやってきたら、
突然、美味しさという機能を
求めて食べ行くことになるから、
唯一無二性が一つ失われる。

だから、
資さんうどんは
美味しいし新潟でも食べたい思いがあるけど、
新潟には来てほしくない。
来たら嬉しいけど。

今の段階で、私たちの中の資さんうどんには
競合はいない。
それが超重要なわけ。

物語があることが大事。
物理的な距離があることで
そこまで行く手間が増え、
その手間もかなりの条件が必要だから
希少価値が生まれる。
この状態があることで、
小倉に来る→資さんうどんはマストの
図式が出来上がる。

ご当地名物は
やっぱり色んな意味で
ご当地になくちゃダメじゃないか?
と思う。

今日、小倉の土産物屋さんに
東京バナナがあってびっくりした。
興醒めした。
東京バナナがおいしいのは間違いないけど、
これからの私の人生の中で
東京バナナを食べる頻度は
これで下がった。
全国区になったというのは、
それほどのことだし
私がどうこう言うことじゃないし
ニーズが確実にあるから、
必要なのかもしれないけど、
東京バナナを東京土産で買う人は
減るだろうな。

そこに行かないとダメってのは、
やっぱり大事な要素だと私は思う。

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