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無職、好きな音楽を語る

お久しぶりです。
ヤキソバライターです。

今回は何度か書こうとしてはあきらめていた記事を、満を持して投稿します。
それは、ただ無職が好きな音楽について語るだけのnote。

はじめに

その前にワタシと音楽との関係について書きましょう。
ワタシは2024年6月現在26歳で、今年度27歳になる学年です。
1997年生まれ、映画「もののけ姫」と同じだと覚えてください。
ワタシには5歳離れた姉がいるのですが、音楽の才能はほとんどそっちに遺伝しました。
母親が前に話していました。

あなたとお姉ちゃんがおなかの中にいるとき、音楽を聞かせてたんだけど、お姉ちゃんは反応して、あなたは無反応だったよ

よく歌っているがオンチな母親

かくして生まれる前から音楽的な才能はなかったようです。
うちの家系は祖父がハーモニカ、父がギターとベースをやっていました。
父の妹(ワタシ的には叔母)はピアノがとても上手いです。
祖母と母親はこれといって楽器をしていませんでした。

姉は早くから音楽に興味を持ち、音楽教室に通い始めました。
それに対してワタシは特に興味がわかなかったのでピアノ教室にも通いませんでした。

成長して、中学生になったころ姉はまだ音楽教室に通っていました。
ワタシも少し音楽に興味がでてきて、トランペットを習いたいと思いました。
なぜトランペットだったのかはよく覚えていませんが、たぶん何かで見てカッコいいと思ったからだったと思います。
そして、姉が通っていた音楽教室の元先生でトランペットを専門でやっている女性の先生がいたので、その人に毎週土曜日に教えてもらうことになりました。

しばらく通って少しずつ吹けるようになり、親にせがんで新品のトランペットを買ってもらいました。
たぶん10万円くらいしていたと思います。
ワタシの父親は熱量をはかる人です。
買ってほしいものがなぜほしいのか、それが手に入ったら何をするのかをきちんとプレゼンすればどんなものでも買ってくれました。
その代わり、「みんながもっているから」などの曖昧な理由では頑として買ってはくれませんでした。
ワタシのコミュニケーション能力はたぶんそういったことで鍛えられていったのではないかと思います。

しかしそんなに苦労して買ったトランペットも現在では、実家の押し入れにハードケースに入ったまま眠っています。
高校生になって、遊びが忙しくなり急に興味がなくなってしまったのです。
毎週通っていたのが2週に1回になり、そのうち通うのをやめてしまいました。

せっかく買ってくれた父親には申し訳ないことをしたなと思います。
しかし、そういったことはしょっちゅうありました。
中学1年の時には剣道部に入り、竹刀や防具をすべてそろえてもらったのにその年の秋には辞めてしまいました。
親の期待を悪い意味で裏切る子どもだったと思います。
だったというか、それは現在でも変わらないのかもしれません。

そんな風にして一度は音楽から離れるも、高校2年生のときには友だちとバンドを組もうという話になり、唯一まともに演奏したことがある鍵盤ハーモニカを担当しました。
もちろん小学生の時に使っていたものではなく、新しく買いました。
色は確か黒鍵が赤色で、白鍵が黒色というロックなカラーでした。
バンド名はReadybirdで、Ladybird(テントウムシ)とReady(準備)を掛け合わせた名前でした。「飛び立つ準備ができた鳥」という意味でワタシが考えました。
メンバーはギターの女の子と、確かベースとドラムスの男の子2人と僕だったと思います。

しかし活動1回で解散しました。
あとから聞いた話によると、ワタシも含めて全員が1回目で「なんか違う」と感じたようです。
供養のためにここに記しておきます。

そしてその後、ワタシはピアノを習い始めます。
大好きだった音楽の先生で篠木先生という人がいました。
優しい先生で、チャラチャラしていたワタシにも丁寧にピアノを教えてくれました。
ちなみに学生時代のワタシの評価は先生によってまちまちでしたが、共通しているのは「なんか憎めないやつ」だったようです。
そんなワタシがなぜピアノを習い始めたかというと、母親が好きだった曲「G線上のアリア」(バッハ作)を弾いてみたいからというシンプルな理由でした。
そこで先生にお願いして、放課後の音楽準備室で教えてもらっていたのです。
クラシックの名曲をピアノを習ったこともない、五線譜も読めない男子が演奏するのだから大変な話です。
ただ先生は一般的にピアノを習うときに覚えるであろう「猫ふんじゃった」などの曲をすっ飛ばして、「G線上のアリア」だけを弾かせてくれました。
現代音楽にはないバロック式の演奏方法や、ペダルの使い方もわかりやすく教えてくれました。

そして6か月くらいすると完璧に演奏できるようになりました。
現在ではもう全く覚えていませんが、いい思い出です。
動画でも撮っておけばよかったなあと思います。

さて、そんなワタシの好きな音楽をここから語っていこうと思います。
音楽というよりも曲、といった方がいいかもしれません。

夕陽に別れを告げて~メリーゴーランド/サザンオールスターズ(1985年)

サザンオールスターズの曲は子どものころからとてもたくさん聴きました。
父親の車の中でもMDでよく流れていました。
数ある曲の中でもワタシが一番好きな曲が、この「夕陽に別れを告げて」です。
「KAMAKURA」というアルバムに収録されています。
何ともいえず寂しい気持ちになります。
本当の自分の学生時代はこんなにきれいな思い出じゃなかったはずなのに、素敵な思い出だったと思える曲です。
イントロのハーモニカの音が大好きです。

守ってあげたい/松任谷由実(1981年)

2曲目は、松任谷由実の「守ってあげたい」です。
これは完全に母親の影響ですね。
ワタシの母親はユーミンのファンです。
そのため小さいころから、よく家のリビングなどでかかっていました。
洗濯物をたたむとき、掃除をするとき、音楽をかけながらするのが彼女の楽しみなのです。
そんな中で、ワタシが一番好きな曲がこの曲です。
「守ってあげる」ではなく、「守ってあげたい」という歌詞なのがいいですよね。
本当は守れないのかもしれないけれど、その気持ちが嬉しいときってありますよね。

ボクノート/スキマスイッチ(2006年)

3曲目はスキマスイッチの「ボクノート」です。
この曲は、2006年に公開された「映画ドラえもん のび太の恐竜2006」の主題歌でした。
ドラえもんの声優が交代して初めての劇場版で、公開日に映画館に観に行った気がします。
当時住んでいた江戸川区の船堀に船堀タワーという建物があって、そこの地下に船堀シネパルという小さな映画館がありました。
当時小学1年生だったワタシは、祖母に連れて行ってもらい一緒に観ました。
映画が良すぎて泣いてしまいました。
そしてこの曲のCDをTSUTAYAでレンタルして、何回も聴き、よくお風呂で歌っていました。
現在でもカラオケに行くとリクエストしてしまうくらい好きな曲です。

突然/FIELD OF VIEW(1995年)

4曲目は、FIELD OF VIEWの「突然」です。
曲名通り、イントロなしで突然曲が始まるところがカッコいいです。
またVo.浅岡さんの透き通るようなさわやかな声が気分を明るくしてくれます。
調べたところ、1995年のポカリスエットのCMソングになっていました。
中山エミリさんが出ていて、さわやかなこの曲にピッタリだなと思いました。
ワタシがこの曲に出会ったのは、もうだいぶ前のあるテレビ番組でした。
そこで芸人タカアンドトシが「会いたい憧れの人」としてVo.浅岡雄也さんの名前を挙げて、事務所を突撃し、最後は一緒にカラオケで歌うというファン垂涎の夢を叶えていました。
どうやら2人の学生時代に流行った曲で、よく歌っていたとのことでした。
ワタシはリアルタイムでFIELD OF VIEWを聴いていた世代ではないですが、他にも良い曲がたくさんあるので、ぜひ聴いてみてください。

宝くじは買わない/RCサクセション(1970年)

5曲目は、RCサクセションの「宝くじは買わない」です。
Vo.忌野清志郎さんはすでに亡くなってしまっています。
名前のインパクトもすごいですが、ビジュアルのインパクトもすごい人です。
最初に彼の曲を聴いたのは、ラジオから流れてきた「雨上がりの夜空に」でした。
よく「雷に打たれたような衝撃」という言葉がありますが、音楽を聴いて自分にそれが訪れるとは思ってもみませんでした。
ロックンロールとはどういうものかを分からされた気がします。
そんな忌野清志郎さんが率いるバンド、RCサクセション。
その中でもワタシが一番好きな曲がデビューシングル「宝くじは買わない」です。
まず歌いだしが衝撃です。

宝くじは買わない だって僕は
お金なんかいらないんだ
宝くじは買わない だって僕には
愛してくれる人が いるからさ

歌詞の冒頭

相手に愛を伝えるために「君さえいればいい」という言葉はよくあります。
しかし、忌野清志郎さんは「お金なんかいらない」を飛び越えて「宝くじは買わない」とまで言い切ってしまっています。
そのセンスたるや、なんて美しいのでしょう。

どんなにお金が あったって
今より幸せに なれるはずがない

歌詞の一部

この歌詞も良いですね。
本来的にお金は、不幸にならないために存在してるのであって、あればあるほど幸せにはならないということが伝わってきます。
実際ワタシは無職で生活保護を受けていますが、そんなに不幸とは感じていません。

Return To Sender/Elvis Presley(1962年)

6曲目は洋楽です。
ワタシの祖父は意外と洋楽好きでした。
特にお気に入りだったのが、エルヴィス・プレスリーです。
たまに部屋でも聴いていましたね。
そんな中から耳に残っている曲として、「Rerurn To Sender」を挙げました。
「Rerurn To Sender」とは、宛先不明で送り主に返送されるときのフレーズです。
この曲の主人公は恋人と喧嘩してしまい、仲直りをするために謝罪の手紙を出すのですが、何度出しても宛先不明で返送されてしまう、といった内容です。
もしかしたら相手が受け取り拒否をしているのかもしれませんね。
日本で初めて発表された当時は「心の届かぬラヴ・レター」という邦題がつけられていました。
邦題を訳した人のセンスが光っています。
現代では手紙を出すことも減って、LINEやX、instagramなどのSNSが主流になっています。
そこではブロックすることはできても宛先不明で返送されることはありません。
だから現在の若者世代には通じない感覚かもしれません。
ワタシが携帯を持ち始めたころはまだメールが当たり前でした。
たまに友だちが連絡なしにメアドを変えてしまうと、こちらから送ったメールが届かず、サーバから宛先不明という英語のメールが返ってきました。
もしかするとそれが「Rerurn To Sender」に近い感覚なのかもしれません。

Nowhere Man/The Beatles(1966年)

7曲目も洋楽です。
おそらく世界で最も有名なバンド、ビートルズの「Nowhere Man」という曲です。
この曲も日本で最初に発売されたときには、「ひとりぼっちのあいつ」という邦題がついていました。
訳す人のセンスがカチッとハマってますね。
日本でリリースされた1966年はワタシの父親が生まれた年です。
まず冒頭のハーモニーが美しくて、一気に曲の世界に引き込まれます。
ワタシが洋楽を好きになるときは、理屈ぬきにその曲が好きになるという傾向があります。
歌詞の意味とか、メロディラインとか「部分」ではなく、「全体」が好きになるんです。
だから似たような曲や同じアーティストの他の曲ではダメなんです。
ビートルズには他にも名曲がたくさんありますが、やっぱりお気に入りは「Nowhere Man」です。
歌詞の意味はまったく分からないけれど、「ひとりぼっちのあいつ」はワタシをさしているような気がします。
悪い意味のひとりぼっちではなくて、いい意味のひとりぼっちです。

君は天然色/大滝詠一(1981年)

8曲目は再び邦楽です。
知っている人も多いであろう大滝詠一さんの「君は天然色」です。
作詞は松本隆さんで、他にも太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」や安田成美さんの「風の谷のナウシカ」、YMOの「君に、胸キュン」など様々な曲を作っています。
名盤『A LONG VACATION』というアルバムに収録されていて、他にも大滝詠一さんの名曲があるのでぜひ聴いてみてください。
この曲は、CMソングとしても何度か使われているので、曲名は知らずとも聴いたことはある、という方も多いかもしれません。
明るい曲調なのに、少し寂しい気持ちになるこの曲。
実は作詞をした松本隆さんはこの曲を作ったとき、仲の良かった妹さんを失い、失意のどん底にいました。
街の景色がすべて色あせ、モノクロに見えたそうです。
なので、歌詞にこういった一節があるのですね。

想い出はモノクローム 色を点(つ)けてくれ
もう一度そばに来て はなやいで
美(うるわ)しの Color Girl

1番のサビ

ワタシも昨年双極性障害のうつ状態がひどかったときには、電車から降りて駅のホームを歩いているとき景色がモノクロに見えていました。
「自分はなぜ生きているんだろう」
「このまま静かに眠らせてくれ」
そう思っていました。
それを乗り越えられたのは、ただ少し運がよかっただけです。
この記事を読んでていま何かしらの理由で毎日がつらい人へ。
どんなことでも時間が経てば笑える日がきっときます。
大切なのは、今日一日、あと一日だけ諦めないことです。

ALONE/神崎エルザ starring ReoNa(2019年)

9曲目はソードアートオンラインというアニメの中で登場した神崎エルザというキャラクター名義で発表された曲「ALONE」です。
実際にはReoNaさんというアーティストが歌っています。
ワタシはアニメにはあまり詳しくなく、ソードアートオンラインも見たことはないのですが、この曲だけはすごく心に刺さりました。
ワタシが普段考えている内容が歌詞に投影されているのではないかと錯覚しました。
ぜひみなさんも歌詞を見ながらこの曲を聴いてみてください。
さて、この曲ですが、サビに使われている音楽はビバルディの「四季」という曲のフレーズです。
有名な曲なので、どこかで聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

Funny Bunny/the pillows(1999年)

10曲目、これが最後の曲です。
the pillowsというバンドの「Funny Bunny」という曲です。
この曲はずっと好きだったというよりも、最近再会して好きになりました。
初めて出会ったのは2011年。
当時テレビ東京でやっていたアニメ「SKET DANCE」の中で登場しました。
学園が舞台のアニメで生徒たちの困りごとを解決するSKET団という部活のメンバーが活躍するというあらすじです。
その中で彼らが通う開盟学園の音楽祭、「カイメイ・ロック・フェスティバル」編でこの曲がかかったのです。
そのとき歌っていたのはこのアニメのために結成されたバンド、The Sketchbookだったので、ワタシはこの曲がそもそもthe pillowsというバンドの曲だということを知らずに聴いていました。
それから月日が流れ、最近テレビでこの曲がかかっているのを聴きました。
すると自然に口ずさんでいたのです。
そしてこう思いました。
「あれ、なんで自分はこの曲を知っているんだ?」
そしてネットで調べることで、昔の記憶を思い出したのです。
振り返れば2011年は大変な年でした。
3月に東日本大震災があり、テレビCMもポポポポーンばかりになり、なんとなく不安な日々を過ごしていました。
そんなときにこの曲を聴いて、心に残っていたのかもしれません。

キミの夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた

1番のサビ

おわりに

自分の好きな音楽を語るのは、なにか自分の内面を見られているようで気恥ずかしくなることもあります。
それでも自分が良いと思ったものを人にも伝えたいという想いから、この記事を書きました。
最近友だち同士でも「最近何の曲聴いてるの?」って聞かなくなりましたね。
ワタシはカラオケが好きです。
みんなと一緒に行って、その人が好きな曲を歌っているのを見るのが好きです。
もちろん、自分が好きな曲を歌うのも好きです。
選曲が難しいなと感じることもありますが、誰かが歌った曲と同じアーティストの別の曲を歌ったり、曲名につながりがありそうな曲を歌うと結構盛り上がるのでおすすめです。
それではみなさんもよき音楽ライフを!

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