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きれいな心

もう28年前になったということだが、阪神・淡路大震災には忘れられない思い出がある。

この大地震は1995年1月17日の早朝に発生したものである。当時私は「人生最後の不真面目」を実行するためにフランスの地方都市で語学学校に通っていた。

そこの地方大学の付属の語学学校だから、わりと幅広い授業があるのだが、もとより本物の留学生から見たらお遊びに近いものだったろう。まあ、それはいい。

そこに、当時神戸から数十人単位で半年の語学研修に来ている女子大学の学生さんがいらした。毎年交流があるそうであり、来られた方は知る限り本当のお嬢様という感じで頭が良いとかよりもとにかく「きれいな心」をもっているようだった。

阪神・淡路大震災の発生を受けて、家族と電話連絡を取るなどしたようだが、被害の大きさに茫然自失の方が多くみられた。

私の近くにいたひとり、仮に「R子さん」としようか…R子さんは真剣に「神戸に帰りたい。今、ここにいることが情けない」といって泣いていた。

はっきりいって、フランスに来るひとの中には「ああ、パッとしない日本からでて、これでやっと人とは違う特別な自分を謳歌できる」という感じのひとも多かったのであるが、彼女たちは違った。

「もうひどいことがあって、きいてくれますか」とR子さんが数日たってからいってきたので、きいてみると、

「うちは幸い大きな被害はまぬがれたんですが、うちの母は『せっかく集めたヨーロッパの食器が棚ごと倒れて全部割れちゃったのぉ~』と泣いているんです。ひとの命が失われているときになんということでしょう」
とのことであった。

そして彼女は続けた。
「今、私が神戸に帰っても被災をしたひとに寄り添うことはすぐにはできないかもしれない。それならば、やはり今ここでフランス語を学び、しっかり成果を上げて大学に戻ることが大切だと思います」

私はそのあまりに「きれいな心」に言葉を失った。この人はかなり資産のある家の娘さんのようであったので、なにかあっても、今後の生活を心配しなくてもいいようではあったが、このように「失われた命」にまっすぐに向き合うというのは、すごいことだと思った。

さらに彼女はいった。
「今、世界史を知らなければならないので、本を読んでいるんですが、フランス語なのでなかなか進まなくて・・・」

確かにフランスでは、簡単な外国人向け語学講座でも、すぐに民族の大移動とかローマの歴史とかドゴールがどうしたとかやたらと背景を学ばされたものである。

そこで、心の汚れた当時そこでは一番年上だった私はアドバイスをした。
「世界史なら日本語の参考書を、大学受験のやつでいいから、送ってもらえばどうか?大体の輪郭がわかればフランス語でも把握しやすくなるのではないか」と。

すると、R子さんは、ひとみを輝かせて
「あ、そうですかね。そうかぁ。気が付きませんでした。ありがとうございます」と笑顔を見せたのであった。

以来、私は若い人のきれいな心と素直な向上心に敬意を持ち続けているし、自分を保っているひとには年齢も性別もなく教えられることが多いと知ることになったのであった。

遅かったけどなぁ(30代半ばでした)

ぱなせあつこ

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