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20歳になったら

20歳になったら死ぬ
思春期ではなく、成人として扱われ自覚をもつそんな時まで自分が生きるのが大変だと思うようなことがあれば。
本当はすでに18歳の時点で死ぬつもりだったけど、生憎タイミングを逃したり生きてて良かったことがあったり、希望が見えているから。

嘘だと信じて受け入れないこともまた宗教となんら代わりはしない。

笑って言ったことを、冗談でも後悔してても、忘れられない。怒りとか許す許さないなんてものの前に、ただ忘れられない。

もうずっと思う。どんなに楽しい場所に向かっていようが、行きたくない場所に向かっていようが、このバスが、電車が、なんらかの事故で自分ごと消えないかなと。そんな、他人任せで罰当たりで身勝手なことを。こうも思う。もし、本当の幸せになれたときにそんなことを考えたことを後悔するだろうと。それでも、沸いて出てくる思いだ。

思春期、悲劇のヒロイン症候群、かまってほしいだけ、怠惰しているだけ、逃げているだけ、いろいろ思う。いつも思う。世の中の人は本当にこんななか暮らしているのか、すごいなって。でも、うすうす気付いてもいる。そんなことなくて、ただ自分がただ、考えすぎてしまっているにすぎない。もっとつらいひともいる。人と比べることではないこと。危険性無意味なこと、わかってはいても、わからない。

ポエムのような気持ち悪い文章は見返すと、気持ち悪く感じたり、悲しくなったりするから避けていたのに、残したくなった。自分の言葉で自分の気持ちを。あとで、見返して気持ち悪くなるけど、今の私は今の私にしか残すことはできないから。記録になりたくて。自分のことばでなんて言ってるけど、自分の言葉なんてものは、身についていない。いつも、言葉にしたくなくなったり、上手く言葉にできないことばっかりだ。ましてや、それを他者に伝えよう物なら、伝わらなかった悲しみが大きく膨らんでいくだけだ。伝えることが目的ではなく、理解して欲しい。という傲慢な気持ちが目的だから。理解される努力もしてないのになにを言う。

なぜ生きているのか。嘆きではなく、ただ疑問に思う。宗教というものに、属せば救われるのか、そもそも生きていることがツライから救われるなんてことを、考える。不幸な人は、死んだら救われる解放されると思うから、死にたいけど幸せな人は逆だという他者の考えが頭をよぎる。ただ生きているのが大変だなと嫌気がさして、悲しいだけで、そんなことはないよと絶対的に言ってくれるのを待っているだけだと感じる。圧倒的に否定してくれるもの。ああまた、自分は受け身でただひたすら待っているだけなんだ。そんなんだから、買われないんだ。自分の考え方を変えれば良いだけ。気の持ちよう。なんだろう。そう。ずっと言われてきた。病気でもなんでもない五体満足な体だ。良かった。とそうずっと言われるたびに苦しくなる。

簡単にしねないから生きているのか、生きたいから生きているのか、死にたくないから生きているのか、めんどくさいから生きているのか、ただ生きているのか。

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