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進撃の巨人最終巻34巻考察

ぺんぎん


印象に残ったシーンに、道でのアルミンとジークの会話があります。
ここでは道での二人の会話について考察していきます。



生命活動がただの「増殖」であるというのは一つの平面的な事実かもしれませんが、実際の生はもっと鮮やかで立体的で、無価値な幸せが実は「生きる」目的だったりするものです。


アルミンにとってのかけっこ、ジークにとってのキャッチボールは、例え「増える」ことと関係なくても、その人自身が生きていて良かったと思える「生の目的」だったのでしょう。


そう考えるとジークの安楽死計画は、生まれてくる前から不幸を決めつけ、生に価値がないと判断することであり、「無価値な幸せ」の価値を他人が決めつける行為だと思います。

それは、他人にとってはただのボールであっても、ジークにはクサヴァーさんとの思い出で、価値ある大切なもの、という考えを根本的に否定する行為です。


安楽死計画は間違ってはいない、しかしまた生まれてもいい、とジークは言いました。それは、生の目的である「無価値な幸せ」に気づいたからではないでしょうか。


アルミンには枯葉に見えていたものが、ジークにはボールに見えた。このことは、選び、価値を見出すのは、他の誰でもなく自分自身であることの表れでしょう。


自分が生まれてきた意味を感じられたことで、ジークの心にあった生への鉛の様な重みか消え、心が軽くなり、視界が広がったのだと思います。(=空が綺麗だと気づく。)




さて、もう一つ。なぜユミルは2000年もの間、ミカサを待っていたのでしょうか。ミカサの決断はユミルに何をもたらしたのでしょう?



結論から言うと、「愛と訣別する覚悟」を、ユミルは2000年もの間望んでいたのだと思います。

ユミルは愛されたことがなかった故に、愛に特別な感情を抱いていました。愛されたい、愛を知りたい、そんな想いが彼女の柵となっていき、ついに王の奴隷となった。

報われない愛にしがみついて、するべき選択を誤ったのです。

王が襲撃された時、もしも自分が庇っていなければ、あるいは娘が巨人化の力を引き継ぐことも、巨人が今日に至るまで増え続けることもなかったはずです。

愛をして柵に囚われ続けたユミルと、同じように報われない愛に苦しみながらも、最期は愛を以ってエレンを仕留めたミカサ。愛する者との別れを選択する覚悟、そしてそれは、真に愛と向き合うことそのもの。


自分が出来なかったもう一つの選択を、ユミルは2000年間ミカサに見ていたのだと思います。

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