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【連載小説】「恋するスピリチュアル」⑰~時代劇、時代劇、ああ時代劇

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言っておくが、それまで私は小説を書いた事がなかった。

シナリオは勉強したが、小説を書くのは初めてだった。
だから、正直、書き方が分からなかったのだ。

書いてみて分かったのは、シナリオと小説は、似て非なるもの、という事だった。
シナリオは骨組みで、小説はそれに肉付けをしたもの、という作家の方もいらっしゃるが、私にはとてもそうは思えなかった。

そもそも、シナリオと小説では使う脳が違うのだ。
私は、シナリオは右脳(映像)で、小説は左脳(文字)で書く物だと考えている。
そんな違いがあるのに、今まで、右脳で考えていた人に、急に左脳を使えというのは、酷な話だ。

それにシナリオにはシナリオ独特のルールというものもあるのだ。

シナリオは、映像化するものなので、一切の感情は排して書く。
気持ちは書かない、というのが、セオリーだ。

それじゃあ、どうやって気持ちを表現するのかというと、登場人物の行動ですべて見せるのだ。

例えば、イライラしているというのを表現するなら、

〝Aは腕組みをしている〟
〝机をさっきから指でトントンと叩いている〟
〝貧乏ゆすりをしている〟
〝「チッ!」と舌打ちする〟

などと書くのだ。

そこには感情を意味する言葉を書いてはいけない。
全ては行動を描いていく。

それは何故かと言うと、当然、映像化するためだ。
映像には、感情は映らないから。

けれど、それをテレビなり、映画なりで観た人には、
登場人物の感情が必ず分かるようになっているのだ。

そうして、二十年近く映像で物事を考えることに慣れていた私には、
感情を書くという事がまず分からなかった。

嬉しい!
楽しい!
悲しい…、
怒っている、

など…。
もちろん、この言葉をそのまま書いていい訳ではないけれど、
感情を表現する言葉を今度は積み上げていかなければならなかった。

それは私にとって至難の業だった。
どうしても、シナリオの癖で、行動で書こうとする。
すると、何の事だか分からなくなってしまうのだ。

表現力や修飾語、語彙の少なさもネックだった。
シナリオではほぼいらないものだったからだ。

シナリオは、俳優もスタッフも外部のスポンサーも読むものなので、
万人が分かるように書かなければならない。
難しい言葉を遣うのはご法度なのだ。
俳優には子役もいるのだから。

それに、視点の問題もあった。

シナリオでは、視点がバラバラであっても何の問題もない。
むしろ、一つの視点からでは退屈になることもあるので、
変化を持たせるためにも、色々な角度から物を見るのは正しい事なのだ。

主人公を見つめる脇役A。脇役Aを見つめる脇役B、それを見つめる脇役C、それを見つめる主人公…なんて、極端な話、こういうことだって、出来るのだ。

しかし、小説では、主人公を見つめる脇役Aの視点で、語ってはいけないのだ。

視点はあくまで、主人公。

視点を変える場合は、文節で変えるか、章を作るかしなければならない。

私にはそんな事も分からなかった。

とにかく、私の頭は混乱の極み。
分からない、分からない…とつぶやきながら、必死に文章を構築していった。

そんな事を一年近く続けただろうか。

ようやく、私の初めての小説が出来上がった。

その作品を早速、私は、文学賞へ出してみたのだった。


つづく


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