見出し画像

【連載小説】恋するスピリチュアル㉔~お姫様抱っこ、からの、ぐるぐる

月日は、あっという間に過ぎ去っていった。

いくら公募に応募しても、箸にも棒にもかからない私は、
すっかりやる気をなくしていた。

・・・というより、人生全般に絶望していた。

子供の頃より、表現者を目指し、いつか他人に自分の書いた物を読んでもらい、楽しんでもらいたい、と願っていた私の思いなど、秋の落ち葉のように吹き飛んでいってしまった。

それでも順調に年を重ね、もう、五十歳手前になっていた。
これから人生をやり直すにも、何をどうしていいのか分からなかった。

夫のタカシがうつ病に罹り、二度目の休職中ということもあり、
私は、ヘルパーの資格を取り、介護施設で働きはじめた。

介護施設だけは、どんなに年を取ろうが、転職が何回目であろうが、
受け皿になってくれた。
しかし、離職率が高く、常に人手不足なのは、それだけ
キツイ仕事だし、そこに集う人々もまた、
人生の吹き溜まりともいうべき人達だったのた。

そして、そのような職場にいつまでも残っているということは、
かなりの筋金入りの猛者と言う訳だ。

最初は、人の役に立つ仕事だと、頑張ろうと思っていたが、
すぐに、自分には無理だと悟った。

私には、耳の遠くなったお年寄りと意思伝達するには、
あまりにも声が小さかったのだ。

「聞こえない!」「あんたの声は小さすぎるッ」とよく怒られていた。

しかし、実は私自身も、お年寄りが何を言っているのかよく分らなかったのだ。
彼らは、もごもごと口の中でしゃべるので、私にはさっぱり理解できなかった。
加えて、一人一人の状態が違っており(当たり前のことだが)、
この人には、どう介助すればいいのか、何を注意すればいいのか、
お薬は何で、お茶の温度は熱いのがいいのか、ぬるめがいいのか、など
事細かな情報をインプットする事があまりにも多いので、とても覚えきれなかった。

どんなに常連さんでも、日々体調に変化があり、昨日まで歩けていた人が、
今日は車椅子になっている、なんてことも日常茶飯事で、
その都度、情報の書き換えをしなければならないのだが、
そんな余裕もなく(あの頃、「追いまわし」という言葉が、いつも
頭に浮かんでいた)、知らない事も多く、だんだん人と接することが
怖くなってしまった。

まったくの手探り状態で、周りの同僚に聞こうにも、
彼らも皆忙しく、私などより二人も三人も抱えて、トイレに連れて行ったりする様子をみれば、とても、「あのう、Aさんの入れ歯ってどこにありますか?」なんて言えなかった。

もちろん、本人のカバンの中に入っているのだが、そのカバンの見分けがつかなかったのだ(名札付けて欲しかった!)。
コートから、カバンまで、即興で覚えなければならないなんて、
私にゃ、無理な事で・・・。

どんなに勤めても、覚えられない私に、周りの人もそうだろうが、自分自身も嫌気がさしていた。

クリエイターもダメ、ヘルパーもダメ。
ダメダメづくし・・・。

これから一体、人生どうしていこう・・・と、
ため息も出ない状態のある日、
一本の電話がかかってきたのだった。


つづく






あなた様のサポートに感謝です!いただいたサポートは、クリエイターとしての活動費に使わせていただきます。