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日々よしなしごと~ジジババの夏休み~

今年のお盆は、娘たちの帰省も断念して・・と本当は、お盆には帰れるかもねと実は、帰省する予定だった。たまには私もゆっくりしたいということで県内の海に近い温泉旅館を予約もしてあった。

しかし、県内のコロナの感染者も増加傾向。そこへもってきて夫の職場で、もしお盆中に県外から(東京などの感染拡大地区)から帰省する家族と一緒の人は、1週間休んで欲しいといわれたという。そこまでしないといけないの??と非常に疑問を感じつつも、無視するわけにも行かず、泣く泣く断念したというオチ。

さて、娘たちは来ないけど、せっかく予約したのだから私たちで行きましょうとジジババの夏休みよろしく温泉に出かけた。

県内なので、慌てずにのんびりと、途中行きたかった最近修復の終わった名刹に寄り道しながら県西部の町へ。

着いてすぐに、海大好き、海で泳ぐの大好きな夫は海に行くというので、さっそく一緒に歩いて5分の小さな浜に出かけた。人もそれほど多くなく、海は凪いでいて波はなく、水は澄んで海水浴にピッタリ。夫はまさに水を得た魚?のように泳ぎ始めるが、なんと言っても年齢を考えると無茶はできないので、こっちは気が気ではない。ブイまで往復して満足したようでそこで終了。田んぼと川に挟まれた旅館への細い帰り道も、どこか懐かしい風景で心が和んだ。

食事までは時間があるので、温泉に入って汗を流す。トロリとして塩気のある、海辺ならではの温泉。身も心もほぐれるようで久しぶりの温泉に一息ついた。部屋に戻り、買ってきた缶ビールをふたりで1本だけ飲んで、ゴロゴロと読書。ちょっとエアコンが効きすぎかなあ・・・

夕食は、別の部屋でいただくシステム(というのはコロナ禍だからなのか?) 磯料理自慢のここでは、付き出しから、刺身に焼き物、茶わん蒸し、カルパッチョまで魚づくし、さらに天ぷらに牛肉の陶板焼きもついている。ごはんとみそ汁が出るころには、もうお腹いっぱいでノルマ❓みたいに食べることに専念することに。私たちの世代は出されたお料理は残してはいけないといわれて育った世代。どんなにお腹がパンパンでもとりあえず食べようとする。それでも、シニアにとってはこれだけの料理を完食するのは、正直苦行に近い。最初は美味しい!と思って食べていても、仕舞には無理やり口に入れているような状況に・・・

やれやれと思って部屋に戻ると布団が敷かれている。ありがたいなあと思ってごろりと横になると、なんとなく湿っぽい。シーツやカバーはちゃんと洗濯仕立てをかけてあるが、その下から湿っぽさが伝わってくる。長い休業期間、長い雨の期間があったから湿気を取るのは難しかったのかもしれない。

そのせいなのか、久しぶりのお泊りに興奮?したのか、なかなか寝付けず、うつらうつらしても熟睡とはいかず、夜が白々と明けるのが分かるくらいに眠ることができなかった。

朝になり、夫はお腹を壊したという。夕べ私が残した分も少し食べたので、食べ過ぎたと。そしたら私も同じようにお腹を壊して、食欲もなくなり美味しい朝食をほとんど食べられなかった。大好きなカマスの干物も出てたのに・・・

スタッフさんと親しくお話ししたり、とてもいい感じでもてなしてもらったのに、本当に申し訳ないなと思いながら宿を後にし、とりあえずもうお腹は大丈夫という夫は、帰路の途中また違う浜でひと泳ぎしてから帰宅した。お昼は2人とも食べずに、夕食はおかゆというジジババの夏休みは終わった。

旅館の料理の量が、シニアに多すぎるので選択肢があるといいと言う内容でfacebookに投稿したら、最近同様の内容のツィートが炎上しているとか。旅館側としては、おもてなしの最高の表現として豪華な料理を出すのは当たり前だという。確かに料理自慢の宿であれば特にそうなるだろう。私がこの旅館を選んだのは、もちろん美味しい料理というのも一つの要素だったと思う。娘たちが来るのだから美味しいものを食べさせたいというのもある。しかし、だからと言って食べきれないほどのたくさんの料理を望んでいるわけでもない。多分この呟いた方もそう言う意味だったのではないか。では、適量はどこか、というのも難しいとは思う。

私たちのような高齢者は、もうそんなにたくさん食べることはできない。むしろお腹に負担のないくらいに、少な目の方がありがたいのかもしれない。そして、現代人にとっての宿に求める要素も変容しているような気もする。もちろん、食事が主な目的の料理旅館やオーベルジュなどは別として、食事に求める内容も変化しているのではないか。私たちのような老夫婦であれば、通常旅館で出る一般的な会食料理の半分くらいでちょうどいい。こんなメニューを定番としては出せないということなら、シニアメニューとして別の選択肢があるとありがたい。

温泉旅館は高齢者が利用することも多いと思うし、これからも増えると思う。宴会料理を基本とした温泉旅館の提供する料理の考え方は、今の社会状況とは少々ずれてきているのかもしれない。

また、サービスのあり方も、料理が最重点項目ではなくなっているのかもしれない。今回の私の経験からいえば、湿った布団が正直気持ちよくなかったことから、たまに出かけた旅行先で安眠できないというのは、案外致命的ではないだろうか。スタッフさんもいい感じだったし、掃除も行き届いていた。お料理だって量を別にすればよい方だと思う。なので、本当に残念でならないが、また泊まりに行きたいかと言われればNOになってしまう。

コロナ禍で宿泊業が大変な苦境に陥っている。とはいえ、誰もが出かけたくないわけではなく、出かけたくてもなんとなく遠慮というか雰囲気で控えているところはあるように思う。そんな時にこそ、ストレスを少しでも和らげ癒してくれる宿があれば、行きたいと思うはず。特に地元ニーズを掘り起こすには、定番の料理自慢以外の「何か」を磨いていくことなんじゃないだろうか。

とエラそうに書いているけど、そう簡単に「何か」を磨くなんてできたら、だれも苦労はしないって話だが、これは私自身がシニア世代となって、初めて分かる、これまでに感じていなかった(料理の量については漠然と感じてたけど)こと。私たち夫婦は正直言って、お料理について多くを求めていない。居心地よくリラックスできればいいと思っていた。だからこそ、同じシニアの方たちが、今感じる心地よさと逆にこれは嫌だなということを注意深く見て探求してもいいのではないかと思う。身体も心もかつてのエネルギーに満ちていたころとは違う私たちが心地よいと思うことは、全ての方たちにとっても心地よいはず。自分が体験した今回のことを、少しでも活かすことができたらと思う。このコロナ禍だからこそ、これまでとは違うアプローチを考えてみるきっかけになるといいな。

それにしても、久しぶりに行った海の美しさと水平線を見渡せる景色は、しばし、窮屈な今の世の中のことを忘れさせてくれた。それだけでもいい夏休みだったと思う。

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