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日々よしなしごと~薪能を観に~

最近旅行に行くことが増えた。コロナ禍が落ち着いたからというより、母が亡くなり、毎日の介護はなくても週に一日、休みの日に帰宅するので日帰りのプチ旅?がせいぜいだった。行きたいと思えば、すぐ出かけられる今、自分の年齢を考えればこれからは大事な時間なのだ。

昨年の11月に京都に行って以来、なにかと京都に行くようになった。ご多分に漏れず京都は若いころから好きなところ。そう!アンノン族と言われた世代ですから! (ってアンノン族って若い人はなにそれ?でしょうが)

しかし、近年京都はどうにも近づけないところになっていた。何年振りかで日帰りとんぼ返りで京都国立博物館に行った時の、京都駅の激混み具合に驚愕した。外国人観光客であふれかえり、バスを待つ長蛇の列で、いったいどこの路線の列やらもわからないし、並んでもいつになったら乗れるのか・・・

それ以来、京都は日本人の私にも遠い遠い場所になった気がしたのだ。


ところが、昨年11月に行ってみると、あの喧噪はいったいどこへ?という様子、というか遠い昔?の京都に戻った感。観光地京都としてはこの状況は死活問題だったと思うけど、正直今だ!と思ったのはご想像の通り。

というわけで、今のうち(そのうち外国人観光客も戻ってくる)にと、その後3月にも行き、先日6月1日に3年ぶりに開催されるという平安神宮の薪能鑑賞の旅に出かけた。
しかも、今回は旅行会社が企画したシニア向けのパック旅行。旗持ったガイドさんの引率で回るアレ!毎月送られてくる旅行のパンフで見つけたこのツアー、能に少し興味が湧いてきたタイミングやら、JRやホテルの手配に、鑑賞のチケットの手配とか、自分でやろうとするとかなり面倒なことがすべてセットって便利だわ~とシニア反応 笑

そうやって出かけた京都一泊の旅。京都駅八条口の集合場所に行くと、案の定女性が多いけど、男性おひとりもご夫婦もいらっしゃる。若くはないけど、ベテランの女性のツアーガイドがきめ細かく説明や案内をして、シニアの団体ってさぞや大変だろうと他人事みたいに見ておりました。迷惑かけないようにしないとね・・・

本番が始まる前に、平安神宮すぐ前にあるロームシアターというところで、能と狂言の型や囃子方の説明などのレクチャーがあり、これは能初心者にはとてもありがたい予習になった。隣に座ったおばさまがだんだんこっくりしてきて、時々ハッと覚めて聞いても次の瞬間にはまたこっくり、と老人あるあるには自分もやりそうなので苦笑いするしかない・・・

その後さらに、我々のようなシニアの観光団体客向けに、当日の演目について京都の能楽協会理事長さんからのレクチャー。こういうところが、個人客では得られないサービス~団体旅行いいかも♡

そして次は、早めのお食事の老舗の料理屋さんに。
今は(以前は宴会みたいことしてたのかしら?)、テーブルに二人ずつ透明パーティション挟んでの食事。
ご同席の方とそれなりの会話しながらと思ってたけど、ご一緒の方は「もう生い先短いからせっかちなの」と黙々と食べてると思ったらいきなり、以前あるカレンダーの写真の場所に行きたいと思って、カレンダー会社に問い合わせて確認し行ってみた。ところが役所に行って場所を聞いても分からないというので、がっかりして帰ろうとしたら追いかけてきて、写真家に確認しましたというので行って来たと、滔々としゃべり始める。そのカレンダーの写真まで見せて・・・大したもんだと思いつつ、こんなに行動力あるっていうことアピールしたかったのかな?とふと思ったりね。

食事を終えて平安神宮に向うと、一般の参加者もかなり集まってきていて当日券の売り場には長い列ができている。簡単な説明を受け、舞台正面の席に並んで座る。わーい特等席じゃないか!こういうのも団体様のありがたいとこだ。

演目は能が3曲に途中狂言が1曲入る。解説のイヤホンもつけているのでお話の内容もわかる。これまでパンフレットを作成していたのを、コロナ対策の一つとして、狂言師2名による会場内の注意事項や演目の説明、これがなかなか狂言の漫才のようで面白い! 今後もこのスタイルがいいんじゃないの?!と生意気にも思った次第。

さて、本番が始まり、正直2時間の能舞台で途中寝てしまうんじゃないかと心配したけど、全くそんなことはなくず~っと目をランランにして観ることができた!
演目は、こんな時期だからこそ、平和と安寧を祈りかつ明るいものらしく、「淡路」では急々之舞と言れる速い動きや、「花筐」では、切ない恋からハッピーエンドになるお話、狂言の「首引き」では、可愛い少女の鬼を甘やかす親鬼の話、能「龍虎」では、龍と虎の大きな頭飾りをつけて戦うスぺクタルな舞台に、能の概念がひっくり返るような驚きの面白さ!能から歌舞伎が生まれたということがよく分かる舞台だった。

次第に空が黄昏てくると、朱塗りの平安神宮の本堂の上の空が茜色から紫色そしてダークブルーに変化し、薪能の醍醐味でもある篝火の炎や煙が幻想的で美しい光景にうっとりだった。
来てよかったなあとつくづく思った瞬間だった。

この時に不思議な感覚を味わった。この薪能はコロナで2回中止になり3年ぶりの開催で、主催者や携わる方たち、待ちわびてやっと観にこれた人たちの素直な喜びと幸福感あふれる空気が会場いっぱいに満ち満ちていたのだ。私たちは観光客だけど、京都人たちが暮らしの中に息づく、このような季節ごとの行事への思いに触れることで、京都人たちと同じ喜びの中にいる感覚。とても温かな不思議な感覚だった。


それにしても、準備をするにあたって、3年ぶりに開催することで忘れてしまったこともあったと理事長さんがおっしゃっていたが、3年ですらそうなることを思うと、一旦やめてしまったこのような行事を復活するのは、とても難しいことなのだと改めて思った。
間に合ってよかった、そんな思いも湧いてきた。来年もできればこの空気感に浸りたいなと思う。楽しみがひとつできたな。

この旅行の間、当地でも3年ぶりに祭りが開催されていた。facebookにアップされている顔はみんな嬉しそうに輝いていた。当たり前にできていたことが、できなくなることもあると知った今、毎年の行事も実はとても大事なみんなの宝だったときっと気づいただろう。

さて、忘れがたい思い出となったこの旅。いつもの暮らしに戻ったけど、また次の旅のために日々よしなしごとを大事に過ごすことにしましょう。

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