手の届く範囲に必ずあるもの

「コーヒー好きなんですね」

「コーヒー好きなんですね」
とよく言われます。
たしかにコーヒーはとても好きです。
でもわたしはこれにはっきりイエスと答えられず、もごもごと「飲み物全部好きなんですよね〜」とか答える。

コーヒーをそもそも始めたのはメルボルンでの生活で、カフェとコーヒーとその周りがいいなと思ったからで、
カフェをやるならばコーヒーに詳しくなくてはならないと、当時は割と脅迫的に思っていた。

長く続けることで、愛着ももちろん湧いてくるものの、
わたしがコーヒーや飲食を選んでいるのはコーヒーを好きだからではなく、
『「その場性」が高いから』という一言が1番しっくりくるのであります。

手の届く範囲のこと

演劇が映画になり、ライブがサブスクリプションになり、本が電子で読めるようになり、
さて飲食はどうかというと、そこにいい意味でも悪い意味でも全然辿りつかない。
それは人間の飲食体験が味覚以外の要因に大きく依り変化するということよりも、
食べ物をデータ化すること、味覚を解明することが現実的に難しいだろうことから、遠い未来になると考えている。

さて経済が疲弊していく中で、わたしたちがもっと大切にしていくのは、手の届く範囲を誠実に生み出すことかと思う。

インターネット以前と以後では情報の距離が分かりにくくなってしまった。
日本一も世界一も、同じような距離でそこに見えるのだ。
オーストラリアでサンゴ礁を見るツアーに参加したときに、世界中でダイビングをしてサンゴ礁を見てきたカップルに「なぜ沖縄に行かないの?沖縄のサンゴ礁が世界一美しいのに!」と言われたことは忘れられない。

わたしはもっと手に届くことを大切に大切にしていきたいと、そう思う。
そしてそこに飲食があることは意味合い的にも必然なのです。

飲むことは受け入れること

飲むことは受け入れることです。
身体になにかを入れる、入れさせることは、料理人やってる人のできる大きな価値だと思っています。
嫌いな人と食べるご飯に味がしないことは、もっと世界を作ることと密接に関わっている。
わたしはいつも1/100杯でなく、1/1杯のコーヒーを入れたいと思っています。

またまとまりのない文章を書いてしまったけど、言いたいことは、わたしは脳みそハッピーで楽観的なことやハッピーなことを話しているわけではなく、論理的に組み立たっているということが言いたかったです。

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