Lillyと学ぶ、女湯男児問題。

おはようございます、Lillyです。
今回は、結構懐かしい話題に分類されるかもしれませんが、女湯、男児問題について話していければなと思います。

そもそも、女湯、男児問題とは?ですが、一時期話題になった3歳以上の男児を女湯に連れてくるな、という話題。みなさん覚えて居るでしょうか?他にも試着室全開で鉄拳制裁問題もありましたが、ふと思い出したので話題に上げておこうと思った次第です。

さて、みなさん。みなさんは、幼少期に「異性親」と入浴した経験はございますでしょうか?ある方もない方もいらっしゃると思います。私は、11歳頃迄、父親と入浴していたという経験があります。その事実を聞いて、人によっては「そんなもんだよな」と感じる人も居れば「嘘でしょ!?」と感じる人も居るでしょう。家の中、つまりは家庭内の慣習というのは本当に人によってそれぞれであり、話題に上がることもないので露見しにくいです。この慣習というものは扱いが難しく、実際親子間のコミュニケーションはその家、その家によって異なります。その思い出が不愉快な場合もあれば、幸せな記憶であった場合もあります。
ところ変わって海外、実は異性の「親」と入浴は虐待と考えられる場合が多いです。特にアメリカやヨーロッパ等ではお風呂場という場所はパーソナルな領域であり、仮に親子であってもパーソナルな領域を侵すべきではないと考えられているのです。入浴を共にした、と言うことが周囲に知られれば事情聴取案件ですし、逮捕される事もあります。そう、異性親との入浴は私たち日本人にとっては割とよくある有り触れた行為であっても海外諸国からすれば立派な「性的虐待」であると言うことです。即ち、女湯、男児問題も当然ですが男湯、女児問題もそのどちらも法に抵触する恐れがある行為であるというこおなんですよね。

とは言っても日本なんだし、という意見もあると思いますが……家庭内ならともかく、そもそも論として「公共の施設」で異性親子が入浴するのってどうなんでしょうか?
何歳までなら許されるのでしょうか?色々疑問はありますが、一つ一つ丁寧に上げていきたいと思います。

1.何歳までならいいのか?
→公共の施設で男女を分けている以上本来は例外なく男女は分けるべき。理由は単純、そういう制約のある施設として提供している為。また、小学生以上は不可の施設も多いが、これは時代に即してはおらず、あくまで施設側の譲歩でしかない。本来は年齢等に関係なく性別で分ける必要がある。譲歩するにしても3歳児頃迄が妥当だろう。

1-1.3歳児頃迄な理由
発育の差があれど、2歳中頃〜3歳は人間という動物が「物心」を得る時期である。つまりは発育における第1フェーズに入ったということであり、この時期に受けた知識・知覚・経験は今後の基盤となり大きく影響を及ぼす頃合である為。
性愛についても個体による格差はあれど認識し始める年齢であり、より一層慎重になるべき年齢である事から3歳から適切な性教育の場が必要となる。
補足 よく、3歳は性的な目で異性をみないと言う反論分は聞くが、動物は産まれた瞬間から各々の「性自認」を持っており「性愛」を持っている生き物である。この場合の性愛とは、なにも肉欲的なものだけを指し示す訳では無い為、無性愛者と呼ばれる方々も例外ではない。性愛とは「さがをあいする」事であるので、同性相手・異性相手・肉体的接触有無に関わらず、自己または他者を愛する感情があれば起点となるのは「生存本能」であるからして、性愛である。人間という存在である以上は「性的」な物を持っていない事は皆無である。
男であるという自認があれば男であるし、女であるという自認があれば女である上に、肉体的な性別もまた同等に生まれついての「さが」なので、どちらにせよ3歳児だか性欲がない、性愛がないというのは、大人が幼児に対して純粋無垢であるという幻想を押し付けているだけに過ぎない、神話的価値観である。

2.シングルマザーやシングルファザーはどうしたらいいの?使うなってこと?
→正解。使うなと言うこと、或いは混浴可な施設や施設を選択するか、家族風呂の様なサービス提供かをあればそれらを使うべきである。
そもそもとして「銭湯」というのは元より制約・制限のある施設であり、その施設を利用するからには利用規約に則るべきである。施設側が良しとするのならば良しであるし、悪しとするならば悪しである。とても単純な話「ルールを守れ」と言うことだ。

2-2.主張について
→この話題についてまず、仕組み的にはこうである、こうあるべきであるというのを上記では語ってきたが、個人的な意見を言うとしたら「女湯に男児(逆もしかり)」云々を辞めろと言う側は施設に言え、と言う話でもある。男児を連れてくる親や入ってきた子供にヘイトを向けるべきではないし、それらを良しとしているのは社会や施設なのだから訴えるべきは社会や施設であって、少なくとも現状のルールを違反していない親子に向けるべきではない。それは筋違いだと言うことである。自身が不快だからといって相手を害して良い理由にはならない。我慢しろという事ではなく、スピーチするべき場所が違う。署名を集めるなり、危険性について根拠のあるものを集めるなりして行動した上で、施設そのもの、社会そのものを変えなければ常識自体変わらないのでは?少なくとも筋違いの相手への主張はまかり通らないということである。

3.命の危険あるじゃん問題
異性子を異性風呂にいれることによって事故や命の危険性が〜論もまあありますね。だから異性風呂にいれる!主張。いやもう家でやれよ。なんで外でやんだよ。でしかないです。
そもそも銭湯は「娯楽施設」ですよね?無ければ死んじゃうとかではないと思いますし、子供が行きたがるのは勿論ですが、一番は自分達が羽を伸ばしたいが根底にある訳じゃないですか。自分の欲を持つことは悪いことではないですし、それによって子供が喜んで手間がかかりにくなる等の効果もないとは言えない訳ですが、わざわざ他者を巻き込んでまですることでは無い、という話です。命の危機云々言うのであれば連れていかないという選択肢もあれば、父親に託す、母親に託すという方法もあった筈です。それ以上に怖いもの、ありますしね。

4.日常に潜むもっと怖いもの
さて、実際の所この問題は「子供」を「異性」として見ている大人が存在するからこそ成立する問題だと言うことに、そろそろ気がついて欲しいのです。海外の様に、男女以前に自立やパーソナルを尊重する文化、とかであればまだマシなんですけどね、そうではない日本という国で、女湯、もしくは男湯の空間に異性の子供が居ることへの不快感を持つ人間が居るということは、子供側が大人側へ性的関心を持つ以上に、大人側が子供側を性的な目で見ているということの裏返しであるという事です。今回の場合はそれらが大人側への子供の無意識な搾取や、それらを当たり前にする教育への憤りという形で出ていますが、それは同時に大人側が子供側へ搾取や消費をする人間が居てもなんら不思議では無い、ということです。
難しい、とは思わないのですが丁寧に説明をしておくと

子供相手に、オスだ!メスだ!出ていけ!と感じる人間がいる以上、子供相手にオスだ!メスだ!えっちだな!食べちゃたい!という事を感じる人間も居るということです。
そんなことは無い。と言いきれますか?本当に?これは男女関係ないですよ。だって色んな性癖の人が居ますから。性的な目でみない、なんて本当に有り得るんですか?いいえ、上記で説明しました通りです。人間は生まれついてから性愛、つまりは性欲を持っている、という事です。そしてそれが「肉欲」だけとは限らないということ。

実例
これは、私の実例です。私は冒頭で父親と長い期間お風呂に入ってた、といいましたね。銭湯の際は母親がゆっくりしたいという理由で男湯に入っていたわ訳です。ちょっと変わってますよね、今の時代なアウト案件ですし、昔だとしてもアウトてすよ。珍しいかと言えば珍しいけど、同じような子が居なかった訳でもないです。私は全然気が付かなかったのですが、あるひ父親から急に男湯はダメと言われました。大きくなってからその理由を知らせれたのですが、父曰く。
「どう見ても子供だと分かる身体なのに、ジロジロと見る大人が居た、お父さんは男だし大人だからそれがいやらしい目だってわかるし、親バカだから抜けてたけど子供でも異性なんだからダメなんだなって思ったよ」との事でした。正直怖くなったそうです。迂闊だったし、軽率だったと。例え直接的被害にあわなくてもそういう風に見られていたのは事実で、それは親からしても気分が悪く、気持ち悪い上に、怖いことだったと。

そして同時に、私は女湯で同世代の男の子と出くわす事もありました。最初こそ気になりませんでしたが、好奇心と性欲どちらも感じる視線がある子も居ましたし、気恥しいので居ないで欲しいと思った記憶もあります。それに、家族ではない女の人が男の子をベタベタ触っていたのを見たこともあるんですよね。
男の子が女の子の身体ぺたぺたも、その逆も、同性同士もありますからね、実際。親がちょっと目を離した隙にやってますよ、割と。こればっかはやはり人間は本能で生きているので、としか言いようがないです。

それは幼少期の記憶です。でも今でも覚えている。大人になった今でも、ですよ。男性だから、し女性だからは関係ないのがこの事でわかりますよね。

だからこそ、制限した方がいい、という話です。不愉快云々以前に、自分の子供がそういう搾取・消費の被害にあったり、歪んだ性知識をもつ前にです。

5.結論
結局この問題、話題になった時は大抵みなさん不快感の話ばかりでしたが、それ以前に、性的虐待を行っている、或いは無意識的に性的被害者を作っている可能性のある行為、だという事が抜け落ちているなと私は感じました。
それらを踏まえて親側はもっと考えるべきですし、施設側は制御が出来る側なのだからこそしっかり秩序を設けるべきだと思います。主張者も、主張するべき場所を選んだ方がいいですしね。
この問題は、私にとっての一番の悪はそれらを慣習として受け流してしまう社会全体の問題であり、それらをコントロール出来るはずの施設側にあるとおもいます。
ビジネスですから大変でしょうが、時代は変わっていくものです、価値観も、人も。
故に、私たちがもし、自分の為に、或いは子供のためにと動くのであれば、この制度自体をかえるしかないんですよね。お互いを憎むのではなく。

という訳で今回のテーマは
「無自覚の性被害」でした。

また気が向いたら記事を書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?