愛情表現としての涙


正直な話をすれば、過去に色んな人と身体の関係を持ちました。単純な欲の時もあれば、純粋な性への興味の時もあったし、マッチングアプリで食事を奢ってもらった対価としてホテルに行っていた時期もありました。

兎に角、寂しかったんだろうと思います。
セックスでこころの隙間を埋められる訳がないことも、私が単純な行為としてのセックスを楽しめるタイプでないことも解っていながら、辞め時が見つけられなくなっていました。

いつしか、好きな人だから身体を重ねたのか、身体を重ねたから好きなのかも分からなくなりました。
その違いをどの尺度で測ればいいのか分かりませんでした。

「好き」と言う言葉を、自分が思っているよりも簡単に口にできてしまう人間なんだと気付いたのもこの頃だと思います。
純粋な好意も後付けの好意も、同じ「好き」と言う言葉で纏められてしまうので、そこに何の意味があるのかと思ったりしました。

何の意味もないセックスをし続けることも、それの為によく分からない「好き」を伝えるのも、そう言ったこと全てが面倒になって辞めました。
辞めたことで寂しさと対峙しなければいけなくなったし、下手に関係を持ち過ぎた所為で人との距離感がズレていることにも気がついて、なかなか苦しかったです。

でも、意味のありそうな行為を選択するようになってから、どうしようもなく愛を伝えたい瞬間に出逢うことが出来ました。
そして、そもそも「好き」なんて言葉は、私の愛情表現には無いものだったんだと気が付きました。


どろどろに溶けるようなキスをしていたとき、この人をこのまま食べてしまいたいなぁと思って、思わず噛んでしまったんです。
相手の血肉をすべて自分の中に摂り入れて、それでそのままベッドの上で死んでしまおうか、と。

この感情なった時はいつも、誰にも取られたくないだとか、他の人と同じことをできなくしてやろうだとか、そう言った雑念すら消えていて、ただ純粋に、相手と共に溶けて消え去りたいと思います。
嫉妬や独占欲から一応は解き放たれたその感覚を、その時のままで手にしていたいと思います。
時間が経てばそれはいつか確実に汚い感情に変わってしまうから、そうでない瞬間だけが続けばいいと願うし、それが出来ないのならそのまま溶けてしまいたいと思います。

きっと、他者からすればそれすらも汚くて穢れた感情なのかもしれないけど、私にはそれなりに綺麗に見えるんです。

食べたいほどに愛おしいとき、好きと言う感情を超えているので「好き」なんて陳腐な言葉が言えませんでした。
それでいて、代わりになるような語彙も持ち合わせていないので口をつぐむことしか出来なくて、その不甲斐なさに涙が出ました。
ベッドの上で貪るようにキスをしていた相手が突然泣き出すなんて、常識的に考えれば気持ち悪い事この上ないでしょうが、それが私にできる最大限の愛情表現なのでどうしようもありません。

あぁ、私はどうしようもなく湧き出た愛を伝えたいとき、何か言葉として伝えてしまったら、いつか「所詮その言葉はその時に都合がよかったから口にしたんでしょう」と後悔するから、閉口するしかないんだな。

そう思いました。
泣くのはずるいかも知れません。
自分が後悔したくないから、自分が言葉で伝えられる程の技量を持ち合わせていないから、だから涙に頼るのは逃げなのかも知れません。

でも「好き」と言う言葉に大きな意味を見出せない私にとっては、愛おしくて涙するという行為の方が、何倍も何十倍も意味のあるものに思えるんです。
愛情表現としての涙は許されて欲しいなと思う一方で、他の表現方法を模索し続けるしかないだと思います。

さて、あなたにとっての愛情表現は何ですか。
そもそも愛って何でしょうね。

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