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朝チャイの日

今日は久々にチャイにしてみた😊
アーユルヴェーダを学び始めたとき、
朝は絶対チャイじゃないとだめって縛り付けていた時期があった。

朝のチャイは体をあたためてくれて、
重すぎない朝食になるので一日心地よく過ごせるから。
それ自体はとっても素敵なこと。
でも、私はそれに縛られすぎた。

自分が心地良いから朝のチャイを続けているのではなく、
義務的に朝は絶対チャイじゃないといけないって。
決めつけて、今日の自分の体調がどうとか全く関係なく、
ただひたすら毎朝チャイを飲み続けるという生活。

完全に目的を見失っていましたね。
そうやって強制的に義務的に無理矢理選択している習慣は続かない。

半ば義務的に続けいていた朝チャイの習慣は
自然消滅していき、しばらくチャイから離れた生活が続いておりました。

ですが今朝、
「何だか今日は体が重たいから朝チャイにしようか~」と自然にチャイを選択している私がいました。
○○さんが言ってたからとか、スクールでこう学んだからとか、そうやって頭で考え義務的に毎日続けていた時とは違い、
これが飲みたいと体が自然に感じたこと、求めてきたことにびっくり😯

この感覚は初めて。
あぁ、もしかしたらこういうことなのかもな。
体で感じる、心で感じる、自分を観察してその時の自分に必要なものを選択する。
その教えは頭に入っていたけれど、本当の意味での実践はできていなかったのか。

スクールで学んだのだから私はできていると思っていた。
朝チャイを飲むことも自分を観察して感じて選択しているんだと。
でも、実際は義務的だった。気づいていなかったけど。
せっかく学んだから、やり続けなければいけない。
そればかりが先行して、最も大切な自分を観察するということができていなかった。形だけだった。
だから続かなかった。本当の本当に体全体で理解していなかったから。
頭でっかちな形式だけの習慣。
それって続かないんだね。

やっと気がついた。
身につくペースが人よりゆっくりな私。
正直、スクール期間中はどんどん気づいて体得して変化していく人と、変化の少ない自分を比べて焦っていた。不安だった。
あれ、私だけ何も変わってないぞ・・・?

今なら、一人一人歩く速さが違うのだから人によって理解度や成長のスピードが違うのは当たり前で、それに良いも悪いもないと分かる。
でも以前の私は何で私だけできないの?何で私だけ理解できていないの?って周囲より進みが遅い自分に劣等感を感じていた。

いや、そんなの当たり前じゃん。
みんながみんな同じだったらこわいよ。
たとえ同じタイミングで同じ先生から同じ期間学んだとしても、
理解のスピードは人それぞれ。
速い人もいれば遅い人もいる。ただその性質を持っているだけ。

本当は比較して落ち込むことなんてなかったのに、気にすることなんてなかったのに。速いことが良いことだと思い込んでいたんだね。
遅いことは良くない、要領が悪い、劣っている、そんなマイナスなイメージばかり。

時間をかけて理解していくことで深く刻まれることもあるのに。
少しずつ身につけていくことで深く長く保ち続けられるかもしれない。
その性質を活かしていけるような方向へ目を向けていこう。

スクールを卒業して10ヶ月。
ようやく本当の意味での理解に向けて歩み出した気がする😊
私らしいなぁ。


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