見出し画像

大学2年

①幹事マスター
大学2年生になった。
「誘われないのであれば、
 こっちから誘えば良い」と
思ったこともあり、
クラスの友達、サークルの仲間、
授業などで知り合った同期などと、
渋谷で飲み会を開いたり、
新大久保でサムギョブサルを食べるなど、
自ら幹事を務めることが多くなった。

友達が友達を連れてくることもあり、
次第に知り合いは増えていった。

朴の人間関係は、
沖縄の海のように薄く、広かった。

友達からは
「俺の友達、朴のこと知ってるらしい」
といわれることもしばしばあった。

Facebookの友達は、1300人を超えていた。

②日吉ライフスタート
住まいが、川崎 → 日吉に変わった。

1年の時住んでた大学の国際学生寮は、
1年が経つと出ないといけないので、
安く住めるところを探していた。
そこで、
横浜市が運営する国際学生寮に
申し込んだところ、審査がとおり、
入居が決まった。
そこそこ倍率は高いと聞いたが、
いろんな国の人が集まる寮なので、
願書には、大学1年のときの話を書き、
環境適応能力的なものを
アピールをしたのが良かったのかな。

入居条件は、
横浜市にある大学に通っている留学生であること。
日吉キャンパスは横浜市にあるのでクリア。
3年からキャンパスが
東京に変わる点に関しては、
問題ないとのこと。
ただし、入居から丸2年で
退去しないといけないルールで、
2年の春に入居する自分の場合、
就職活動で忙しくなる
4年の春に退去になるので、
そこだけは残念だった。

初のユニットバス付き。
市が運営するため、家賃は破格の3万円台。
川崎にあった大学の寮の半分ほどの値段。
部屋からの眺めも良かったので、
満足していた。

寮生同士も仲がよく、
毎晩パーティが行われた。
いろんな国、大学の人がいて、楽しかった。

入居から1ヶ月ほどになった頃かな。
韓国人留学生会で、P君と新しく知り合ったのだが、
そのP君から、耳寄りの情報が舞い降りてきた。

・彼は今とあると会社の社員寮に住んでいる。
・家賃1万円
・別料金にはなるが、食事が出る食堂も付いている。
・日吉駅から徒歩15分の好立地。
・浴室、洗面台は共用だが、
・水道代、電気代なし。

実は、
さまざまな企業の社員寮の空き部屋を、
日本の大学に通っている留学生に、
社員さんと同じ条件で貸す事業を
やっている非営利団体があるとのこと。

空きが出た部屋に関しては、
団体から入居者の募集をかけるのだが、
P君が今住んでいる
日吉の寮に卒業予定の4年生がいるため、
もうすぐ空きが出るという話だった。

先着順で締め切るため、
最初に審査を通った者が
入居できるらしい。

P君の言葉とおり、
間もなくして
日吉寮の募集の告知が
学生課で出され、すぐ応募した。

同じタイミングで
自由が丘の寮の募集も出ていたが、
すでに申し込んでいる人がいたため、
確実に決めたかった僕は、
日吉寮に申し込んだ。

三田キャンパスの学生課にて、
面接を受けた結果、合格。

「奨学」が目的の制度なため、
留年すれば即退去。
アルバイトの時間が制限され、
部屋に友達を招待することも
できないなど、
いろいろと縛りはあったが、
電気、水道代込みの家賃1万はタダに等しい。
すぐ入居を決めた。

そして、住まいは、
横浜の国際学生寮から、
日吉に変わった。

③サークル活動
イベントサークルで、役職を頂いた。
テレビ局のADさんみたいに、
バミリテープをブレスレット代わりに、
手にはスケッチブックをもって、
舞台裏を走ることもあった。

1年のとき活動した
インカレのダンスサークルBでは、
秋の学園祭、
冬の1年生公演まで参加したものの、
満たされない何かを感じた。
HOUSEは、足の角度や
手の動きが少し変わるだけで、
味が変わり、
ダンサー各々の個性が出るので、
踊っていて楽しかった。
しかし、
同じジャンルの同期と
そこまで親しくないことが
気になっていた。

新歓期、
ダンスサークルのA(体育会系)で、
退部の話を出したとき、
「えー寂しいな、朴にはウチで頑張ってほしい」と
言ってくれた
あのやさしい先輩たちを裏切り、
ダンスサークルB(インカレ)に入った罰が
当たったのかも知れないと思った。

最初入ったダンスサークルAは、
大学の3大ダンスサークルの中で、
部員数は一番少なかったものの、
その分、部員同士の結束が強く、
同期もみんないい人だった。
その中では、今でも連絡を取り合うやつもいる。
最初のところで頑張ればよかったなと
思うこともある。
あのすさまじい練習量に
耐え切る自信があったかは別にして...

まぁ、それはともかく。

結局私は、2年の春学期が始まる直前に、
1年間活動したダンスサークルBをやめ、
三つの内、残り一つ
ダンスサークルC(帰国子女多いセレブ系)に入部した。

イベントサークルの夏合宿に
遊びに来てくれた、
とある先輩が副代表として
活動するところだ。
その先輩曰く、
2年の春学期が始まる前だったら、
同じ学年(2011年入学の学年同期)の
みんなと同期として活動できるとのことだった。

ルールとしてはそうだったが、
同期になってくれるはずの
みんなの考え方は少し違ったみたいで、
2012年の新歓合宿に参加すると、
ある人から
「なんで、ほかのサークルで活動していた朴が
 ウチと同期になるの?」
と聞かれることもあった。

同期の中には、
1.歓迎モードの人(建前?)
2.中立の人(無関心?)
3.反対派の人(本音!)
の三つの部類の人がいた。(ような気がした)

みんなあまり表現はしないが、
そこまで歓迎されている
雰囲気ではなかったし、
居心地は前のところより悪かった。
HOUSEチームの飲み会に参加しても、
みんなの輪に入ることはあまりできなかった。

不満っぽくいろいろ書いたが、
汗と涙をともに流してきたチームの中に
いきなり、2年のデカイ男が、
「おれもいーれーてー」と
寄ってくると
警戒するのも無理ではないかなと
今では思う。

④韓国人留学生会
サークルのほかに、
韓国人留学生会でも活動をはじめた。
留学生会長からのオファー(?)を受け、
自分と同じ学部の留学生たちを
リードする立場になった。

実は、
留学生会長からのオファーを
断りきれなかった理由はあった。

留学生会長は、
日吉寮の情報を提供してくれた、
あのP君だったからだ。

面白そうだったので、
引き受けたのもあるが...

日本では年齢より学年が優先される。
日本人しかいないサークルでは、
歳下の3年の先輩が「パク!」と呼ぶと、
「はい!」と言って先輩のところに走っていった。

韓国は学年より断然歳なので、
年長者というものに対する尊重や
問われる責任などは、日本よりある。
入学当時、すでに現役の4年より歳上だった
この高齢者にもそういったものが
働いたのでないかと思う。

1年のときは、サークルに夢中で、
あまり参加しなかった留学生会。
2年になってからは、参加ところか、
参加させる側の人間になったので、
留学生会にも自分なりに力を入れて活動した。

ただ、そこで頑張ったのは、
責任感といったものだけでなく、
それ以上に、同じ国の人の集まりから
得られる安心感のようなものも
大きかったからかも知れない。

もちろん、大学生活は楽しかったが、
毎日のように違う国の人と
過ごしていると、
時には理解してもらいたいことも、
理解しないといけないこともある。

留学生会は、その疲れを癒してくれる
場所でもあった。

⑤チャリの旅
イベントサークルのAD(?)、
留学生会の学部代表と
肩書きは増えたが、

すべてが新しかった
1年のときに比べれば、
むしろ刺激は少なく、
自由に使える時間も増えたので、
学校外にも目を向け始めた。

チャリに本格的に乗り始めたのも
2年からだった。

1年生のときも人間関係などで悩みがあると、
チャリを走らせ、川崎に行き、
ラゾーナ川崎を見て回ったり、
ブックオフで買い物をすることもあったが、
それ以上、遠方まで出かけることは少なかった。

2年になってからは、
日本のドラマに夢中だった韓国時代
大好きだったドラマのロケ地が
チャリでいける場所にあることが分かっては、
聖地巡礼に出かけることもあった。
現地に着くと、「あ!ここ!」と
一人で盛り上がって写真を撮ったりした。

日吉からは 
IKEA、COSTCOも比較的に近かったので、
そこで買い物をすることもあった。

韓国は、
特にソウルを中心にした首都圏は、
アパート(日本のマンションのようなの集合住宅)
住まいの割合が非常に高く、
ベッドタウンでもなると、
同じ形をした団地と商業施設が味気なく永遠に続く。

一方、日本は様々な商店街があり、
各々が違った雰囲気を
持っていて飽きないので、
予定のない週末は
都筑区のベッドタウン(ドラマのロケ地)、
川崎、蒲田など
いろんなところに出かけた。

つづく。