看護師さんがいてこその②

いつの頃からだろう。
私より大人だった看護師さんたちが同じくらいの年齢になり、年下になったのは。

そしていつぐらいからだろう。
看護婦さんが「看護師さん」と呼ばれるようになった。
当たり前のように見ていたワンピースの白衣はパンツスタイルとなった。
パンツ(ズボン)姿でキビキビ働く看護師さんたちを見て、
「そりゃこっちの方が動きやすいに決まってるよね。なんで今までスカートが当たり前と思ってたんだろう」とぼんやりと考えたものだ。

いつも見かけていたナースキャップは被らないようになっていた。
ずっと同じ帽子を身に着けているのは不衛生とのことらしい。なるほど、言われてみればその通りだった。
男性看護師さんはチラホラ見られるようになっていたものの、それほど見かけることはなかった。それがここ10年ほどでぐっと増えた印象を受けている。
私が大人になるにつれ、看護師さんを取り巻く環境はどんどんと変化して行った。

いくらでも昔話はできるけれど、何歳の頃何があったかということは曖昧で、かつ際限なく話してしまいそうだ。

ということで、今回は結婚を機に転院して以降の話をしたい。


本人確認の嵐

どのくらいからネームバンドが導入されたっけ。
あれを手首に巻き付けらえるたび、
「これがあると逃げられないなぁ」と毎回漠然と思うのはなぜだろう。
本当に逃げたいわけでもないし、ネームバンドの重要性は理解しているし、むしろネームバンドは大切だと思うのに、不思議。

それはともかく。

私が現在通う病院の病棟では、看護師さん一人ひとりに端末が与えられている。
タブレットほどの大きさはないものの、幅があってそこそこ大きく、かさばる。
それを小さなショルダーバッグのように斜め掛けして常に身に着けている。
そして、例えば点滴をする場合、この端末で患者のネームバンドのバーコードをピッとして、看護師さん自身が持ってきた点滴に貼られているシール(患者の名前や薬剤名などが書かれている)のバーコードをピッ。本人確認をしてから点滴を開始する…というような流れだ。

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「本人確認」に対しては、厳格化されたように思う。
というか、された。
これは患者や患者の検体取り違え等いろいろな問題があったからなのだが、入院中、何度「お名前と生年月日」を聞かれることだろう。
(外来受診のときも同じく、検査のたびに名前と生年月日を聞かれる。)

入院すればひと月…いや、2週間もすると看護師さんたちもこちらを覚えてくれている。それでもお互い約束ごととして確認する。それで互いに安心して気持ち良く次の過程に移れるのなら私は何度でも名前も生年月日も伝える。
…でも令和になった直後だけ、なんとなく西暦で答えてしまった嬉し恥ずかし昭和生まれの私。

時折、そうした名前と生年月日の確認に腹を立てている人を見かける。
「何度も何度も聞きやがって」というようなことを大きな声で言っていて、その気持ちがわからないではない。
わからないではないけれど、そこに腹を立てている時間がもったいない気がする、入院上級者(自称)である。

看護師さんが対応する患者数は多い。
患者の入れ替えも激しいし、「間違えないように」注意をしていても間違いは起こるものだ。それを未然に防ぐための名前と生年月日の確認なのだ。
これはつまり、患者である私にとっても大切で、自分の身を守るために必要な作業だ。
名前と生年月日を言えば済むなんて、とってもお手軽じゃないの。


そういえば、あの端末はかなり高額だとか(金額を聞いてびっくりした)。
「これ常に肩から下げて患者さんの対応するから、ベッドの柵とかにゴンゴンぶつけたりするんですよね…壊しそうで最初の頃ヒヤヒヤしました~」とかなんとか、若干遠い目をしながら教えてくれた看護師さんがいた。
そこそこ重たいらしく、肩が凝るそうな。あと老眼だから端末の文字が全然見えない、という私より年上の看護師さんもチラホラいた。
便利なものには、便利なものを使う上での苦労があるのだと感じている。


看護と介護

結婚して転院した先では、私は循環器内科病棟へと入院するようになった。
転院して数年は小児科を受診していたが、それでも入院するのは循環器内科病棟だった。
循環器内科へ転科して以降は、もちろん当たり前に循環器内科の病棟だ。

結婚前、子どもの頃から通っていた病院でも小児科に入院したことはなかったので、循環器内科病棟に入院すること自体に全く抵抗も違和感もなかった。
ただ、こちらでたびたび入院するようになって気がついたのは、この病棟に入院している人のほとんどが高齢者ということだった。

あまりに高齢者が多いと感じたので主治医にそのように伝えたところ、
「入院してる患者さんの平均年齢84歳やからなぁ」
という、びっくりすることを教えてもらった。
後期高齢者(75歳以上~)が多いのだろうと予想していたものの、まさかの84歳。私などまだまだひよっこだ。

看護師さんによれば「90歳越えもそこそこいるし、この間は100歳超えた人がいたわよ」とのこと、「ぱきらさんはものすごく若手」と言われ、嬉しいような悲しいような、何とも複雑な思いがした。

一度、同室になったおばあちゃん(91歳だったと思う)が退院される日、看護師さんと次回の受診予約日の確認をしていたのだが、「じゃあ、来年の…」と、一年先に予約を入れていて少々驚いた。
一年先の未来を信じて疑わないその姿勢に、感激すら覚えた。
「なんか…私ももうちょっと頑張ります」とたまたま側にいた看護師さんに伝えたら、小さく困ったように笑っていた。

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私が通う病院では、循環器内科でも先天性心疾患患者を積極的に診察するようになっている。
それでも入院中、先天性心疾患の人と出くわしたことはまだない。

同室の女性の多くが高齢者で、かつ自分の力では身動きできない人が多い。
トイレまで自分では行けず、行きたいなと思ったらナースコールを押す人。
トイレまで歩くことができなくてポータブルトイレをベッド側に置いてもらい、都度ナースコールを押す人。もしくはそれも無理なのでおむつの人。
そして多くの場合、患者には利尿剤が投与されている。
トイレ介助だけでも看護師さんはてんてこ舞いだ。


認知症と思われる状態の人も結構いる。

薬の影響もあるのかもしれない。
なんだか不安に思って、夜になると息子さんの名前を呼び続ける人(なだめて、それでもダメなら主治医に連絡して鎮静等)。

まだ歩けないはずなのに力任せに立ち上がってしまう人(そういうときの力は強い。数人で抑えることになる。拘束はしない、というかできない)。

目の前の看護師さんが財布を取ったと思い込み「助けて」とずっと叫ぶ人(違う看護師さんにバトンタッチ、納得行くまで話を聞きつつ話題を変える)。

誰もお見舞いに来ていないのに「娘が来てくれた」と看護師さんに探してくれと訴える人(娘さんが来たかどうか確証がないため、ときには実際に娘さんに連絡を取って確認するケースも)。

常に家に帰ろうとする人(「バスに乗る」と言い続けるので「まだバスの時間まで間がある」等言いながら部屋へ戻るよう促す)。

認知症になりたくてなる人などいない。
これまで生きてきた思い出が自分の中からどんどん零れ落ちていくのだ。
人としての立ち居振る舞い方を失っていくのだ。
その最中にいる人は、とても怖いだろうなと思う。

時折ふと我に返ったようになって
「いつも煩わせてしまって、ごめんなさいね」と看護師さんに謝る人もいた。

なんともせつない。

でもこれは…。
これは、看護師さんの仕事の範疇なのだろうか。
私がこれまで入院していろいろと見てきた看護師さんの仕事内容とは異なって来ているのではないか。

「看護師さんたち…なんというか、介護も担ってますよね」
と親しくなったベテラン看護師さんに思わず言ったことがある。
するとその人は
「あら、そんな風に気づいてくれると嬉しいわ、ありがとう。そうなのよ、看護だけじゃないんですよ。そういう患者さん、とても増えたの」
そして、
「元気(体調が落ち着いているという意味)ならまだ良いんだけどね。みんな心臓が弱ってる人たちじゃない。落ち着いてもらうのが一番なんだけど、なかなかね」
と言っていた。

この10年か20年かはわからない。
でも明らかに看護の現場は変わってきている、気がする。


ゴールはどこに

多くの高齢者が入院する病棟。
その患者のご家族は、私より年上と思われる人が多い印象だった。
ときには緊急連絡先がお孫さんになっていて、今度は私より少し若い人が飛んでくることもあった。

高齢者の部屋というのは、会話がない。
いや、別の病院の循環器内科病棟に入院したときはそこそこ年配の人同士で会話をしていたので、やはり「動けない」「認知機能が低下している」ことが大きな原因だろうか。

とにかく静かなのだ。
静かな部屋に、同室のおばあちゃんたちの寝息だけが聞こえる。
(こうやって昼間寝てしまうから、夜眠れなくなり眠剤に頼る人が増えるという悪循環なのだけれど。看護師さんが起こしても起こしても寝てしまうミステリー…)

ということで、ご家族がお見舞いに来ての話し声や、ときには医師を交えての会話が(聞くつもりはなくとも)とてもよく聞こえてしまう。
耳が遠いご本人さんに加えてご家族(旦那さんがご存命なら旦那さんが来るのだが、これまた90歳代だったりする)も耳が遠いもので、どんどんどんどん、会話のボリュームが大きくなる。
結果、私に筒抜け。

そうすると、結構驚くことを耳にする。

医師が、80歳代の人にアブレーションやペースメーカーの植え込みを薦めるのだ。そして実際に実施されているのだ。

アブレーションするだけでもヘロヘロで油断ならない状態になる私からすれば、とんでもない挑戦に感じてしまう。


そんなことを、親しくなった看護師さんに話してみたことがある。

「治療はいくつになってもできるんだね」
そう聞くと、その人は
「そうよ、80歳代でもできるし、たぶん90歳代でもできると思うわ」と、
「医師なら助けなきゃと思うじゃない。だからアブレーションやペースメーカーを薦める。技術的にはできるから。そして患者本人さんが渋っても、家族ならそういう提案をされたらやっぱり生きながらえて欲しいと思うから、同意するでしょ」
そう言った。
「なるほど、そりゃそうだね…」
少し考える私に、看護師さんは更に言う。
「私、考えちゃうんだよね。自分はここまで治療したいかしらって。だからもしもの場合に備えて書いとかなきゃと思ってるの」
そして「でも」と続ける。
「でも、娘としては…。私の親が同じような状況なら、やっぱり治療して欲しいのよね、これが」

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これは遠いような、それでいてそう遠くない自分にも当てはまる問題かもしれない。
そう感じている。

私の親や夫の親のことを考える必要はあるものの、今はそこは置いておく。
たぶん、私も先ほどの看護師さんと同じく「治療して欲しい」と望むと思うから。

問題は、私のことだ。
私はそこそこ長生きするつもりでいるけれど、だからと言って私自身が70歳だ80歳だと生き続けるとは思っていない。
これは自分の体について過小評価しているわけでも、悲観しているわけでもない。
「ま、そんなとこだろう」という推測だ。
加えて先天性心疾患である以上、心臓の形状がハナから違うのだ、今現在高齢で治療を受けている人たちと同等の治療を受けることは難しいだろうとも考えている。そもそも「同じように」考えるのは無理がある。

とはいえ、仮に60歳代に突入でき、体調が思わしくない状態になったとき、「難しいけど、こういう治療法がある。挑戦しませんか」と問われたら、どうするだろう。

そりゃもちろん、揺らぐだろうと思う。長生きしたいもの。

でも同じくらい、うんざりするとも思っている。
痛いのも苦しいのも、いい加減もう嫌なのだ。
アブレーションを受けて、3日後に退院できる80歳代の人のなんと強靭な肉体。初めてそういう人をみかけたとき、人間って本来はこんなに体力あるんだと驚いた。
でも、そんなもの私にありはしない。

こういうことは、小児科や循環器内科、心臓血管外科の医師たちはどのように考えているのだろう。
何歳まで生かせると思っているのだろう。
もちろん、先天性心疾患の場合はカテーテル検査の段階で「この治療に進むのは無理」という場合だって出てくるけれど…可能なら、70歳でも80歳でも生かしてあげたい、そう思ってくれているのだろうか。

でも一時的に延命できたとして、延命治療を続けたとして、根本的に抵抗力や体力がないのだから、(こういう表現はあまり使いたくないけれど)たかが知れているのではないか。それでも治療を続けるのか。

そんなことを、看護師さんの仕事を見ながら、ぼーっと考えることがある。

生き続けるのはいつだって大変だ。
そしてそれを支える看護師さんの仕事は、とても負担が大きい。


みんなきれい

私は人を見た目で判断するのが嫌いだし、容貌にこだわるつもりはない。
それでもきれいな人を見かければ純粋に「きれい」と思うし、それを保ち続けることって大変だろうなすごいなと思う。

で、何が言いたいかといいますと。
看護師さんたちがきれい、なのだ。

なんというか、昔の看護師さんたちはエネルギッシュだった。
それに対して現在の看護師さんたちは、仕事内容はハードに違いないのに、きれいを維持する努力を怠らない(昔の看護師さんたちが怠っていたとかいう意味ではないですよ)。
まあこれについては私自身が年齢を重ねて、若い看護師さんたちを眩しく感じているからなのかもしれないけど。

あと、とても良い香りがする人が増えた。
患者の側に近づいたときに、ふわっと香る優しくて甘い香り。
おぉ…私はシャワーも浴びれずくちゃい(臭い)のに申し訳ない。
(ただしこれは循環器内科だからかも。香料アレルギーの患者と関わる科ならばあり得ないことだろう)

お肌つるんつるんの人も結構いる。
腕毛がない。チロリともない。
看護師さんのどこ見てるねんと思うなかれ。きれいなものは見つめちゃうのよね、ついつい。
で、このつるつるは「永久脱毛の賜物」と教えてくれた看護師さんがいた。


病院によっては、目元バッチリが流行っているらしいところもあった。

「…眉毛、ふっさふさで長いねぇ。きれい」
そう伝えると
「わー、ありがとうございます。でも実はこれエクステだからほったらかしなんですよ。そろそろ汚れがやばい」
というエクステ情報を教えてくれる人もいる。

とはいえ、このご時世。
「…これはセクハラになるでしょうか。聞いてやばそうなら言ってね」
と断ってから話を始めるようにしている。
「あはは、大丈夫ですよ!」
と看護師さんは応じてくれるけど、でも私が中年のおじさんだと…気持ち悪いよね。怖いわよ。
気をつけなきゃね。

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看護師さんと関わる時間が長くなってくると、だんだんといろんな話をするようになる。
私はその短い時間が楽しくて好きだ。

若い頃はなんとなく気恥ずかしさがあったし、年齢が近いこともあってそれほど話をすることはなかった(向こうも気を遣っていたのかもしれない)。
でも今やほとんどが年下。なんなら我が子と言っても良いくらいの人もいる。
そして私と同じくらいか年上と思われる看護師さんだと、中堅さんというよりそこそこ責任のある立場になっている。
そういう人たちとの会話も楽しい。

「夫婦仲良く生活する秘訣ってなんだろね」
という、壮大?なテーマについて話をすることだってある。

そんなことが繰り返されるうちに、看護師さんが身近な存在になる。
ああ、看護師さんは同じ人間なんだなぁと感じる。
それが嬉しい。
そしてだからこそ、いつもありがたいなと思うのだ。

看護師さんたちはみんなきれいだ。
見た目も…中身も。
もちろん馬が合わない人はいる。それも人間ゆえだろう。
看護師さんは長時間働いても倒れないサイボーグじゃないし、家族だっている。イライラもすればため息もつく。

でもそんなことは基本的に患者に見せない。プロだから。
そんな皆さんに、私はいつも支えられている。

私が入院するとき、私は肉体的にも精神的にも弱っている。
そんな弱っているときに側にいてくれてありがとう。
いつも本当にありがとうございます。

そして、まだ出会ってない看護師さんたち。
これから先の入院の際には、よろしくお願いします…なんてね笑


次回も看護師さんについて、です。
今度は男性看護師さんのことを書きたいと思っています。

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ぱきら
あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!