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石神井と100メートルプール

 日本気象協会では最高気温40度以上を「酷暑日」としている。気象庁の用語である気温35度以上の「猛暑日」では、説明がつかなくなっているのだろう。「地球温暖化」ではなく、国連のグテーレス事務総長いわく「地球沸騰化」。最近の東京は豪雨や雷が非常に多く、何だか恐ろしい。

 石神井池(ボート池)と三宝寺池の間、井草通り沿いに「石神井プール」がある。ここは50メートルの夏季限定の屋外プールだ。「ふるさと文化館」に併設され、通りからは見えないようになっている。石神井公園駅からは遠い一方、印象的には公園の一部という感じだ。
 八月の終わり頃、午前中「石神井プール」で泳いでみると、夏休み中の子どもがいて、混みあっていた。地元のベテランスイマーたちは「この時間からは人は増えない」と話していたが、暑さも限度を超えるとプールに来る元気も出ないようだ。昔は日焼けが健康の証のようなところもあったが、今ではラッシュガードを着ている人も多い。

 石神井プールは1974年に完成し、ふるさと文化館は2010年三月のオープンだから、もともとあったプールの敷地に、今の建物が建ったという解釈でよいように思う。以前の記憶はほとんどないけれど、同じく2010年の夏にリニューアルされているはずだ。設備は清潔で使いやすい。
 水の中からは背の高い木が何本も見える。夏を感じるには、背泳ぎもおすすめだ。この季節しか使えないのは、もったいないと言えばその通りだが、屋外ならではの良さがあって、太陽と風が気持ちいい。

中は撮影禁止なので、入口で

 意外に思うかもしれないが、石神井公園はオリンピックに縁がある。三宝寺池側の「水辺観察園」は今や貴重な植物や野鳥が見られる場所だ。ふるさと文化館が編集した資料集「スポーツの祭典1964 オリンピックと練馬 」によると、1920年、この場所に日本初の100メートルプール「東京府立第四公衆遊泳場」が開設されたという。
 東西100メートル、南北20~30メートルで、屈曲していた。現在のオリンピックの公式プールの長さは50メートルというから、むしろ巨大である。残された写真をもとに考えると、水深は深くなかったらしい。
 当初は板囲いで底は砂利。三宝寺池の湧水が利用され、泥水になりやすく、水も冷たかったそうだ。1923年に関東大震災で被災した後、コンクリート製のプールに改修された。
 ここで練習を重ねた「石神井遊泳団」からは、1932年のオリンピック・ロサンゼルス大会の選手が誕生している。「石神井遊泳団」の名称が何とも勇ましい。

今の「水辺観察園」

「みどりと水の練馬」(発行 練馬区土木部公園緑地課)によると、このプールは1955年頃に釣り堀へと変わった。うまく出典が探せなかったが、その「石神井釣り道場」は、1987年まであったらしい。大正期に創業し、今も公園内にある茶屋「豊島屋」の古い看板に「つり具一式」とあるけれど、現在、三宝寺池側での釣りは禁止されている。
 古くからの住民には懐かしいだろうが、石神井池に隣接した、今の「和田堀緑道」のあたりにも「金木園」という民間のプールと釣り堀があった。ここは昔の航空写真でも確認出来る。
 構造が近いからか、プールと釣り堀は相性がよさそうだ。お湯をはる銭湯などもそうかもしれない。

昨年リニューアルされた「和田堀緑道」

 都心でも市ヶ谷、赤坂見附には釣り堀が残っていて、釣り糸を垂れている様子は遠くから見るだけで、こちらもほっとする。
 子どもの頃を振り返ると、釣り堀は街の中にもっと身近にあったと思う。宅地化が進む中、釣り堀まで残すのは難しい。釣り自体、昨今は一部の人の高級レジャーとなった印象もある。
 娯楽の中心がネットの世界に移って、街からはバッティングセンターがなくなり、ボーリング場がなくなり、映画館がなくなっていく。世の趨勢といえばそれまでだが、「釣り堀がある街」なんて、のどかで、ちょっと素敵な気もする。一周回って需要があるのではないか。

千代田区市ヶ谷にある釣り堀


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