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公園とトランペット。世界が輝いて見えるために必要なもの

いつもと違う公園に行くとトランペットを練習してる男の人がいた。

楽器について詳しくないので下手なことは言えないが、なかなか難しいらしく、その人は何度も
「違うなー…」
みたいな素振りをしながら同じパートを練習していた。


その光景を広場の反対側のベンチから見て聴いていた僕はとても居心地がよかった。 あまりにも居心地がいいので思いのほか長居してしまった。

トランペットの音を聞きながらしばらく物思いにふけると少し意外なことに気づいた。


おそらく、市民ホールみたいなところで演奏している時の方がこの人の演奏は完璧で間違いもない。音楽も完成しているだろう。

しかし、その完成系の音楽は今の僕には響かないだろうと想像がついた。


「不思議だな…完成している方がなんで響かない気がするんだろう…」



同じ間違いを繰り返す演奏を聴きながら10分ほど考えてみる。



横目に見える親子連れ。
僕の座っている茶色のベンチ。
右手に持ったデカフェコーヒー。
天気は晴れ。
それらすべてお構いなしな
トランペットの男の人。



「なるほど」

そういうことか。

すべては自分の受け取りかた次第なのだと気づいた。


いざ本番の舞台は練習の成果を出す場所。
そこに見える男の人にも力が入る。
少なからず緊張もするだろう。

それを前にして、
コンサートホールにいる僕。
自分には慣れない場所。
真剣に聴こうと身構える。


そんな肩に力が入った状態では響くものも響かないだろう。

簡単なことだった。


今の僕はリラックスしている。
そしてやすらぎの空間にいる。
前の人の緊張が伝わることもない。
落ち着いているが眠気はない。
ここに来るまでにドーナツもひとつ食べた。


メロディを受け入れる器ができている。


もし僕が、
フルマラソンを走りきった直後なら、
満員電車の中にいるなら、
眠くて眠くて仕方なかったなら、
空腹で倒れそうなら、
同じメロディを聴いても響かないだろう。


そう思って、僕は演奏している人のうしろにある緑の茂みに目をやった。

夏の日に照らされて青々と生い茂った緑を僕は美しいと思った。

「あの茂みも僕が寝不足だったなら、ただの背景ぐらいにしか感じないだろうな」


世界をキラキラさせるためには、まず自分が自然体で満ち足りること。


少し残っていたコーヒーを飲みほして
僕はちょっと笑顔の練習をしてみた。
「やっぱり僕の笑顔は不自然だな…」


いつも僕は笑顔の人に惹かれる。その理由が何となくわかった気がした。

笑顔はこころが満ち足りる合図なんだ。世界を美しく感じる準備のサインなんだ。

僕よりも世界が輝いて見えてるのかな…
そう思って少し羨ましくなった。



それからちょっとして、親子連れが帰り支度を始めた。

それを見て僕もベンチを立つと、しばらくしてから、不器用なトランペットの音も聞こえなくなった。

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