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ローカルエリートに関する補足

ここ最近、メディアを通じた発言なども増えてきたので、真意をちゃんと伝えられるように「メイキング」的に補足しておきます。

先日、僕らの会社の「ローカルツーリズムマガジン」で話したこちらの記事がよく読まれているようで、この記事経由で取材依頼や感想などを頂戴している。

https://note.com/localtourism/n/n27d89055e909

「エリート」というネガティブに聞こえる言葉が一人歩きしないように、なぜこの言葉をあえて使っているかを丁寧に話した。

何でもみんなで決めればうまくいくから全てみんなで決めてやろうという平等な民主的意思決定の陥穽を指摘したかったというのが大きな点。

特に地方創生の文脈では、みんなで決めることの重要性はよく語られるが、そうではない意思決定領域についてはあえてなのか、あまり触れらない。はっきり言って、地方の事業をみんなで決めてやっていくなんてことはそもそも不可能。そもそもここでいう「みんな」の範囲も恣意的だ。

僕の発言は、説明不足になると過度に設計主義的な言説に聞こえてしまう可能性がある。

僕の真意はこうだ。過去の価値観で不全を起こした地域をその価値観の延長では再興できないのは自明。であれば、新しい価値観を持った人間(=ローカルエリート)のパターナリスティックななんらかの関与が必然的に必要なはず。

ただし、その関与の正統性の議論は大事だし、あと世の中は偶然的にいろんなことがおこるのだから、設計されたものも常に反省されなければいけない。二項対立構造じゃなくて、設計⇄反省の循環構造に習熟すべき。もちろん、いろんな議論はあるだろうけど、この循環構造に精通したまともな感情を持った人材を育てていくのが必要。

あと、キャス・サンスティーンの二階の卓越者(second order perfectionism)の議論も踏まえてのこと。数学的にいえば目的関数の最大化のための制約条件の確定のこと。ローカルエリートのパターナリズムは答えを提示することではなく、地域循環経済圏の拡充に必要な条件を提示することに本質がある。


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