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魂の遍歴

昨今、
生きていくのが厳しいと、
自らの生命を終焉させる、嘆かわしい事象が多い気がする。
確かに、この厳しい生命環境のこの星の上で生を全うすることは
まさに(前々首相の口癖ではありません)いばらの道を歩き、
最後に、なんの罪もなく十字架という現代では考えられない極刑で
処刑されてなお、人々の許しを乞う、ジーザス クライストのような
厳しい道を生きねばなりません。
昔読んだ、題名を忘れた本に、この星は、銀河の流刑地だと、
あー、そーかも知れんな、辛いことが、多すぎる。なんて思ったものでした。

 人間の、五感や感覚は不思議な仕組みがあって、多すぎるものや、
ずーっと同じ温度や、味覚、聴覚など、変化がないものに
無感覚になるという、決定的な特性がある。これは厳しい生活環境を生き延びてきた祖先が脈々と受け継いだ、生き延びるための遺伝の仕組みであって、かれこれ、
1万年以上は続く、遺伝情報の伝達行為だと思う。
地震、雷、火事、親父、なんていうが1万年を一年としてみれば
12月31日の11時59分にずっといる僕らが、文明の享楽にどっぷり浸かって、
湯あたり気味になってることさえ気付けずに、のうのうと暮らしている、
奇跡に僕は今も、感動し続けている。

今、生きてここにいられる、奇跡。

かけがえのない命。

 本気で今も思うが、誰一人として、この宇宙に不、必要な人間や命はない。
まして、殺されていい、命もなければ、自ら殺される命もない。
脈々と自分自身が重ねる業を、ぐっちゃ、ぐじゃに絡まった、運命の糸を少し、
ほんの少しずつ、自分で解いて、織り上げるしかない。魂のタペストリー。

多分、何度、生まれ変わったとしても、自らが、自らの業を、解放しない限り、
カルマの繰り返しは永遠に終わることはない。

安らいだ魂が
また次の命として、生まれ変わり、自らの魂の遍歴と解放を行なっていく。

 死が決して、命、魂の終わりでない確信さえあれば、
少しでも、自らの命を削る、多くの人たちの支えになればと思って、
書いてみた。厳しいのは今から訪れる喜びのためのスパイスだ。
そう思って、明日を生き抜こう。

2021年前に、人類史上最も凄惨な死を迎えてなお、愛を伝えた、
愛の、非暴力のテロリストの誕生日を祝福する志を添えて、記す。

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