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思い出は美化されて、いつかきっとドライフラワーのような恋をしたと思う日が来るのだろう 〜ナオ編 エピソード28〜

昨日は一晩で思いもよらずにナオと佐野さんと私の三角関係が形成されてしまった。
しかし翌日の(2018年)10月6日もまた、私はナオに会うべく西尾に向かった。
その夜もセックスしたけど決してセックス目的で会ったわけではない。一緒に話をしたり、録画していたプロフェッショナルやアナザースカイを見たり、ごはんを作って食べたり。そういう時間が愛おしくてたまらない。すごく癒される。


ナオは思わせぶりな態度や発言は一切してこない。出会った時からそれは変わらない。それは彼のある意味他人に無頓着な性格がそうさせているのだろう。そしてはっきりと何よりも彼女が大切だと、もうずっと前から彼は私に伝えている。以前の私は欲が出て、いちいちショックを受けて勢いでLINEブロックしたり電話帳から削除したり(過去2回w)突発的な行動をとったけど、今年の3月に出会ってから7ヶ月。その間色々な男の子たちにも会ってきた。別に投げやりな気持ちで出会いを探していたわけではない。心から楽しむつもりで真剣に他の男の子とのデートを楽しんでいたつもりだ。だけど、結局ナオやったんやなって思う。今、私の隣にいるのはナオなわけで、やっぱりそれは、ナオが1番楽しいって思うからなわけで。自分の気持ちに素直な選択をとり続けた結果がこれなんだから、もうそれは受け入れるしかないだろう。
それだけずっと想えてたんやなって。
それだけ魅力的なんやなって。認める。
自分の心を否定することはもうしない。

もう私はとことん飽きるまで、気の済むまでナオのことを好きでいようかなって思うよ。
こんな気持ちで他の恋愛はできないから。
結局しょーいちさんもゆうやさんも疎かにしてしまってる。(マッチングアプリの人)
しょーいちさんとのLINEは放置しちゃってるし、ゆうやさんはドタキャンしてしまうし。
自分はなんだかんだ不器用なんやなって思う。…不器用というかは、興味があることしかうまくやれないのかも。


しかしそうは言っておきながらも
そこから5日間めちゃくちゃ悩んで考えることになった。
というのも、佐野さんの言葉がきっかけだった。
あの日以来、彼から私に連絡が来るようになった。純粋に彼は私に興味を持っているようだった。話が楽しかったから友達感覚で連絡してきてるようで、私の心をナオから自分に向けようとしている意図があるのかないのかは正直よく分からなかった。
でも相変わらずナオの悪口は言っていた。
それを聞くと大半は嫌な気持ちになったけど、変に共感してしまうところも多かった。
そして、いつしかの元彼の言葉を思い出す。



「自分の価値を下げる行動だけはしないで」



あぁ、今ならその言葉の意味が分かる気がする。重くのしかかってくる。
そして一度、"その通りだ"と深く納得してしまえば、私の心が固まるのは一瞬だった。



10月11日

ナオに泣きながら電話した。
私の口から言葉で別れを告げた。
これまでの渾身のありがとうを伝えた。
気づけば嗚咽交じりに感極まって泣いていた。
それくらいの覚悟だった。
もう何を言われても動じるつもりはなかった。
胸はめちゃくちゃ痛んだけど、辛かったけど
それ以上にやっぱり今の関係は、考えれば考えるほど辛かった。
割り切ることができれば今のままで楽しく過ごせたかもしれない。
だけど結局割り切れなかった。
割り切れるわけがなかった。
本当の意味で自分の心に素直に従うことは難しい。

私は、大好きなナオと一緒にいることこそが私の真に望む幸せなことだと思っていたのに、同時に心をすり減らしていて、どう選択をしたらいいか本当に判断がつかなくなっていた。

これが俗に言う"沼"なのかもしれないなぁ
なんて、今でこそ思うけど、
そんな状況に陥ってる色々な男女の恋愛を深掘りしてみたとして、実際にはセフレとか沼とか、たった一言で片付けられる恋愛なんてないのだ。
複雑な人と人との感情が絡み合って交差して、言葉では表せない絶妙な空気がそこにはあって、それはその2人にしか紡ぎ出せないもの。家族内の暗黙の了解や奇妙な独特のルールが他人には理解できないのと同じで、人は1人として同じ個は存在しないのだから。全く同じ空気を纏ってる人間なんていないのだから。



別れはいつも私が告げる。
なぜなら1番好きのはいつだって私の方なのだから。私が決断しない限り傷つくのはきっと一生私だけだから。(それはさすがに自己中的発想でひとりよがり)

あぁ、私は一体何度この胸が締め付けられるほどの別れの苦しみを経験すれば、幸せになれるのだろうか。
いや、そんな風に思いながらもはっきりとそこには意思があった。この別れを機に人生が好転する!という希望を抱いていた。

幸せになるために別れる!
いつだってそうだ。


思い出は美化されるもの。


この表現は、
今で言う「ドライフラワーみたいな恋を」
の意味と近いのかもしれない。

ナオにつけられた最初で最後のキスマーク。
もう、消えてしまったかな。

ナオと行ったジャズバー。
ナオと観た坂道のアポロン。
ナオと行った西尾の海岸。
ナオと行ったカフェたらそ。
ナオと食べた喫茶ボンボンのロールケーキ。

綺麗だったね。美味しかったね。
楽しかったね。感動したね。

嬉しかった。幸せだった。愛おしかった。


様々な感情がそこにあった。
ナオからもらったものは数知れない。
私は彼に何かを残してあげただろうか?


実際とてもたくさんのことを残せたと思う。


彼はインド映画の「きっとうまくいく」
を一生忘れられないだろうし、
あんなに良い映画だもの、それを見る度に
きっと私のことを思い出すに違いない。


思い出は思い出のまま、
きっとずっと一生、色褪せることはない。


あぁ、彼の家に忘れてきたYSLのジャケットだけは諦めきれない。あれだけ彼に送ってもらおう。それだけささっとメールした。

ふと窓を開けると、
少しひんやり涼しい風が吹き込んできた。



季節はもうとっくに夏を過ぎ去り、
1年で最も心地良い秋がやって来ていた。




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