友達が離婚してた

学生時代に親しかった友達と数年ぶりに会った。

大学の時にバイトが同じで、
お互いの結婚式も参列し、
お互い母親になり、
会いたかったけどコロナもあり、
住んでいる場所が関東と関西なのもあり、
数年ぶりに会えて本当に嬉しかった。

東京旅行行くから会える?という
数年のブランクを感じさせない連絡をもらえた事が何より嬉しかった。


上の子と年齢が近いので(友達の子は1人っ子)
私は上の子だけ連れて、親子同士4人で会うことにはった。


さすが子供同士すぐに仲良くなり、
出会って5秒後には手を繋いで歩き出した。


私達は再会した感動を噛み締め、
昔話に花を咲かせた。


ひと段落したところで
「今回の旅行、旦那さんは後で合流?」と聞くと


「実は離婚したんだ。」

と告げられた。


今思い返せばもっと気の利いたことを言えたんじゃないかと悔やまれるけど
それを聞いた時の私は何故か変に冷静で


「そっか、そーゆーこともあるよね。」

と一言だけ言った。


あれ、正解じゃないんじゃないの?!
もっと親身に寄り添う系だったんじゃないの?!ばかばかばか自分!
と振り返ってちょっと思うけど


本当に

そーゆーこともあるよね。

とだけ思ったのだ。


30代になり、
既婚、独身、子あり、子無し、持ち家、賃貸、実家住み、仕事してる、専業主婦、子供の発達、旦那の稼ぎ、親の太さ、病気の有無、見た目の変化etc...


もう人生が多岐に渡りすぎるっちゅーねん。


そして自虐的にかるーく口に出せるものから
鬱やら子供の障害やら旦那の死等重いものまで

人生激動すぎやっちゅーねん。


なぜうちの母に友達がいなかったのか
(たまに会っている友達はいたようだが、常に連絡を取り合っている存在はいなかった)


友達おらんなんてお母さんドライすぎなんちゃう?と思っていたが
今ではそれが間違っていたと分かる。




完全に共感できる人生が一つもないのだ。



仕方ない。
別の人間なんだから。

当たり前でしょ。
寂しいけど。

変化に寂しさを感じている暇なんてないくらいには
毎日が忙しいから。

経験したこと以外は想像でしかないから
私が離婚した友達の気持ちを完全に共感することはきっと出来ない。

力になってあげられることも、話を聞くことくらいしかできない。

とてももどかしいけど
私達はいつのまにか大人になったんだ。


「自分のことを何でも話すから」友達なんじゃない。

「毎週会うから」友達なんじゃない。

「何でも言い合えるから」友達なんじゃない。

そんなズブズブ癒着型の友達関係は
いつのまにか青春と共に終わっていたのだ。


私は今案外さっぱりとした
新しい?大人の?友達関係を非常に心地よく感じている。


全てを話すわけでも
頻繁に会うわけでも
空気読んで言わないこともあるけど

事後報告になった大事件も
ずっと言えなかった大失敗も

「そーゆーこともあるよね」で、全部受け入れて片付けてあげたい。


そして私の身に起きたことも
基本は私が考えて行動して解決するから

「そーゆーこともあるよね」で片付けて欲しい。


なんか30代になっても特に変わらず若いままの気持ちでいたけど
少しずつ確実に変わっていっているんだなぁ。

でも数年会っていなくても
何でも話してくれなくても
私が友達を大好きな気持ちは全く変わらないし

それで良いんだと思える。


だって今元気で生きてるってそれだけでもうまぁまぁの奇跡やもん。


もちろん人生が多岐に渡りすぎるが故に
分からない価値観や
どうしても受け入れられてあげる事ができずに疎遠になってしまった友達もいる。


分かりやすくて、水商売の時代の「友達」はまさに流れに流れて誰も残ってない。

これからも友達は多分特に増えることなく
少しずつ減っていくんだろう。


だって10代の頃と同じくらい共感出来る相手なんて
もう現れないと思うから。


でもあの頃の最高の思い出で
一生分思い出し笑いできるから。


だから歳をとるのも悪くない。


そう思わないと色々ありすぎる人生やってられませんぜ。

そして今時離婚くらい、マジで大したことじゃありませんからな。


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