80歳の祖母と私

今日は満月。

この2週間は、

激動の2週間だった。


いろんなことが起こって、

そして

私自身もこの2週間で大きく脱皮ができたようなので

書いておこうと思う。


2週間前、

徳島に住む叔母から突然の提案を受けた。

「明日か、明後日に、大阪に帰省するから、

そのタミングで一緒に帰らない?」

に乗っかって、

急遽、東京から大阪へ娘を連れて帰省した。


その前々日に、

印鑑屋のおじいちゃんに言われた

「あんたのお父さん側のおばあさんに会いに行った方がいい」


という言葉を聞いて、

気になっていた矢先だったから、

本当にどんぴしゃりなタイミングだった。


私は大阪を離れて、もうすぐ3年になる。

この3年は、

父方の祖母からはとても遠ざかっていた。

思い返してみると、

大阪にいた時も、遠ざけていた。


80歳を超える祖母は、

口癖のように言っていた。



今までずっと、

下を向いて汗水垂らして働いてきた。

嫁いで、

嫁姑との関係でずっと歯を食いしばって耐えてきた。


そして今は、

仕事を辞めて貯金もあって、時間がある。

自分を苦しめていた人達もいなくなって、自由になったはずなのに、


今度は、


全然毎日が楽しくない、早く迎えがこないか?

って口癖になっている。


どうして

お金もあって、時間もある生活は、

悠々自適!って私には思うのだけど、

それが祖母にとっては苦しいようだ。


そんな祖母が発する言葉は、

お金は老後のために貯めておきなさい。

一生懸命、我慢して、仕事をしなさい。


そんな祖母を見ていると、

ちっとも幸せそうじゃないように私には映っていた。


お金を使うことよりも、貯めることに価値がある。

頑張らないと、我慢しないと、欲しいものは手に入らない。


祖母も、

そして祖母に育てられた父はそう思っている。

そして、

その祖母と父の背中を見て育った私も、

3年前まで

それが幸せになれる方法だと信じて、生きてきた。


そうやって今まで頑張った結果

自分の離婚を機に、


あれ?!って初めて

この生き方に疑問を持った。


そして、

自分の幸せって

何か?をこの3年で模索してきた。

どうしたら幸せになれるか?

どうやって生きていきたいか?を

自分に問うてきた。


この3年、

悩んで、選択するたびに気づくのは、


今までとは逆のことをしてきた。


その積み重ねで、

私にとっての

幸せの形がわかってきた。


お金をいかに貯めるか?ではなく、

お金をどう使うか?に価値がある。


頑張らなくても、我慢しなくても、

好きなことをして、欲しいものがすべて手に入る。


29年間教えられてきたこととは、本当に真逆だった。


自分自身でも、

少しずつ、だけど、確実に、

変わってきたのがわかる。


そんな私が、

祖母や父を

お金を貯めることに価値を置いている祖母の姿を見ていると、


後ろめたさを感じたり、

今の自分が心もとなく感じたりするのが怖かった。


古傷が痛むような感覚で、


そうなりたくなかったから

できる限り見ないように、接しないように、

遠ざけていた。


今の自分は、

祖母のような人間ではない!

過去の自分ではない!


って、

強く言い聞かせたかったんだよね。


そうしないと、

知らず知らずのうちに

祖母のように、過去の自分のように、

また戻ってしまうんではないか?

今の自分の生き方を責めて、

しんどくなるのではないか?


それを避けるように、

祖母に向き合うことをしなかった。


あの頃から、3年経った今回の帰省。

祖母に会って、わかった。


お金を使うことよりも、貯めることに価値がある。

頑張らないと、我慢しないと、欲しいものは手に入らない。

そうやって思っている

祖母と同じように思っている私も、

まだ存在しているということ。


それを認めることが怖くて、

祖母とは違う!って突っぱねていたけど、


祖母と同じように思う自分も私の中にいていい。

って思えるようになった。


今の生き方が本当にこれでいいのか?

昔の生き方を思い出して、

揺らいだり、不安になったりすることもあるかもしれない。


でも、

それでいいんだと思う。


過去の生き方を正当化したい自分がいたって、


過去の自分に戻るわけではない。

今はその生き方を選択しない。


そのことに気づくことができると、


祖母に
安心して向き合えるようになった。


そして昨日、
大阪から帰ってきた後初めて祖母に電話した。

電話越しで聞こえるいつもと変わらない祖母の話を、

優しく聴くことができている私がいた。


過去の自分の生き方も、

そういう風に生きてきた祖母も、


許すこと、認めることができるようになったんだと思う。


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