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自分を表現する嬉しさと難しさ

この1年ほど、

メンターのオンライン上のコミュニティーに参加している。

毎日メンターが記事を更新して、

その記事に対してコメントをしていく。



ちょうどそれと同時に、

オンラインではなく対面で、

メンターから直接、メソッドの教えを受けていた。


だから、

コミュニティーに参加することは私にとって、

365日メンターの家に住み込みで修行しているような感覚になっていた。


たとえが大げさだけど、

メンターのことも、そして、メンターが運営するコミュニティのことも、

それくらい自分にとって

距離が近かったし、

それくらい

大きな存在になっていた。


それだけがっつり取り組んでいたのに、

先月の終わりからそのコミュニティーも、

メンターからの教えを受けるのをお休みしている。


それは、

参加することが苦しくなってきたからだ。


発端は、

初めてそのコミュニティーで、

オンラインコミュニティーのメンバー向けに

メンターの教えについて30分ほど話すことがあった。


自分が発言をした後の、

自分と、その周りの人の

空気の温度差が気になるようになった。


うまく伝わらなかったんだろうなとか、

何を言っているのかわからなかったんだろうなとか、

どうしたらもっとうまく伝えられたのか?

もっと言葉選びのセンスを磨かなきゃとか、

話し方のセンスを磨かなきゃとか、

そう思えば思うほど、

だんだんしんどくなってきた。


しまいには、

自分が思ったことを発言したこと自体を責めたくなったんだよね。


そうなるともう、

何を話せばいいのか?というところからメンターにお伺いをたてたくなる。

それとは別に、

自由に表現はしたい!という気持ちが戦って、


しんどくなって

やーめた!ってなった。


そもそも

誰かにわかってもらいたい!って思いが強くなっていて、


最初の方にあった

ただ話したい(これいいんだよねーって表現している自分が楽しい)っていうその気持ちが、

消えてしまって

楽しくもなくなって、

ただの苦しさに変わっていたんだと思う。


このことを話したい!!

という自分の気持ちに標準を合わせていたはずなのに、

それを聞いている人の反応に標準がすり替えられて、


話が捻じ曲げられている。

つまり、

話せば話すほど、

話したことを考えれば考えるほど


本当の自分が捻じ曲げられているかのように

感じていたんだよね。


行き着く先は、

わかってもらえなかったら、

話している意味がなくなる

っていう状態だと思う。


最初は、

話したくて話したはずなのに。

話しているだけで、楽しかったはずなのに。


その気持ちを失うくらいなら、

人の目が気になってしまうのなら、

そのコミュニティからも、メンターからも、

距離を置こうって思った。


メンターの目を気にしたり、コミュニティメンバーの目を気にしたり、

そんな自分とはおさらばして、

自分に集中できる環境に身を置こうと思った。


そして今、距離をとるようになって2週間。


自分がこれしたい!とか、これいい!とか、

思ったことを片っ端からやっている。


メンターが発信するものを毎日きっちり見ていたけど、

今は見るのをやめた。

メンターのコミュニティーに今月は、参加しなかった。

メンターのセッションをキャンセルの申し出をした。


そして、

気分が乗ることだけをやろうとしている。


すると、

美への投資が止まらない。


シャンプーとかトリートメントを買い直す

に始まり、

洋服も買ったり、マニキュアを買ったり、


メイク道具も買った。


好きな香りに包まれて、サラサラの髪で、

そして、

その服を見ていると元気になるような色の服をまとう。


そんな自分が写っている鏡を見たくなる。

そして、

その鏡に写っている自分の変化にテンションが上がる。


着たいと思う洋服を着て、

どんどん自分の美を追求していく。


これも

自分自身を表現する手段だ。


もっともっと

自分の着たい服を着て、

自分を表現していいんだと知る。


自分の美に投資をしていいんだと知る。


やっていると気づくのは、


人と違う自分を表現することに臆病になっていた自分に気づく。

素敵だな!と思う色やデザインの服があっても、

自分には、派手な色はな。。。

自分には、女性らしすぎやしないか?!と


どこかで遠慮している自分がいたんだよね。

目立ったら叩かれる!みたいな変な意識があるんだよね。


でも、

自分の本当に好きだと思う洋服、着たいと思う洋服を着て、

自分の髪の魅力を最大限に引き立たせるように

ヘアケアにも気をつかうと、


自分を押し殺していた自分がどこかへ小さくなって消えていくのを感じる。

そして、

もっともっと魅力的になって

もっともっと自分を表現する楽しさを知っていきたい


そう思うようになる。


今はまだそれに目覚めたところ。


これからもっと、

容姿も、行動も、発言も、

そうやって

自分を表現していこうと思う。

自分を表現することを許可していこうと思う。



メンターとのセッションを再開する日はそう遠くない未来かもしれない。


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