4メートル35センチ

 男勝りで有名なあたしだが、朝起きたら見知らぬ男があたしのワンルームマンションの玄関先に佇んでいる状況には、さすがに度肝を抜かれた。
「待って。怪しい者じゃありません」
 僕はあなたの寿命です、と玄関先に立ったそいつは言った。
「寿命が近づくって言うでしょ」
「言うね」
「僕はそれなんです」
「は?」
 よく見れば、男の肌は真っ白で、もやしのように貧相だった。合気道初段のあたしでも勝てそうだと、ちょっと気が大きくなる。
 男に近づこうとすると、男は慌てたように振り向いて玄関の扉をがちゃがちゃやった。
「何逃げようとしてんのよ」
「あなたの寿命はまだ4メートル35センチなので」
「は?」
「それ以上近づいちゃだめなんです」
「はァ」

 とりあえず大学に行くことにした。
 男がぴったり4メートル35センチ離れてついてくるので鬱陶しかったが、無害な男なので気にしないことにする。
「ねぇサヨ、あの人誰? 気持ち悪いよ」
「何か、あたしの寿命らしいよ」
「は?」
 友達がその男に近づいて、何かを訊ねている。男は小さくなって弁解していた。
「サヨ、あの人1日に1センチずつ近づいてくるらしいよ」
「鬱陶しすぎるね」
「ケーサツ行ったら?」
「だね」

 交番は狭くて4メートルも幅がとれず、あたしが中にいると男が交番に入れないので、あたしは隣のカフェの窓際の席で、交番の中の男からぴったり4メートル35センチ離れて待機することになった。
 お巡りさんがカフェにやってくる。
「埒があかないね。よくいるんだよねああいうの」
「そうですか」
「こっそり帰っちゃったら」
「そうします」

「やめてくださいよ、僕が困るの分かってるくせに」
 マンションの部屋、一番奥の窓辺に置いたベッドに寝転がった瞬間に声がして、起き上がると男が玄関に立っていた。
「ねえ着替えるんだけど」
「じゃあ外に出ます」
 ベッドから降りて玄関に近づくと、男は扉の外に出た。着替えを済ませてもう一度ベッドに転がると、男が扉を開けて中に入ってきた。
「僕の仕事は、あなたの寿命を測ることです」
 男が喋りだした。
「だから、ああやって身動きできない状態で離れられると困るんです。また測り直さなきゃいけなくなるし」
「ねえ」
 あたしはベッドに起き直って、男に向かった。
「あんたみたいなのって、他の人にもついてるの」
「ついてますよ」
「みんな見えるの? あんたみたいに」
「普通は見えませんよ。むしろどうして僕は見えるんでしょう」
「知らないよ」
 あたしは爪の先を見た。
「つまりさ、」

 あたしの寿命はあと435センチってことでしょ。
 そうですよ。
 そうなんだ。

 クーラーをつけた。最近、夜も蒸し暑くなってきた。
「じゃぁあんたは、あたしのこれからの人生のパートナーってことか」
「照れますね」
「照れんなよ」
「あ、はい」
 ちょっと笑う。
「てかどうすんの、あと30センチのときとか。さすがに変な目で見られるよ」
「はい、その点はちょっと上と相談してみます」
「あ、そう」
「ついでに、あなたにも僕が見えなくなるように、相談してみます」
 少し考えた。
「…んーいいや、見えてた方が」
「そうですか」
「うん」

 男に名前をつけてみた。男は嬉しそうにしていた。変なやつだ。

written: 2009.8.20