high-tec-c

 ハイテックCの0.4ミリ黒。あたしが大好きなペン。こないだ数えたら42本持っていて、よく集めたなぁと一人で感心。インクが残り2センチを切ると、急に出が悪くなる。並べてみたら殆どのインクが残り2センチで、何だか模様みたいで笑えた。
 あたしは、味噌汁も少し残す。底に溜まった最後の一口。ちなみに関係ないけど、今まで付き合った人はみんな、味噌汁の最後の一口を残す人だった。ふとそれに気付いて可笑しくて、ひとり笑い。
 RPGも、最後までやらない。ダンジョンの中、扉を抜けたらラスボスというところで、何となく自己完結。世界が平和になって、主人公とヒロインがくっついて、おめでたい音楽と目映い画面が踊る。興醒めなエンディング。見たいとも思わない。
 仕事、恋愛、家族、趣味、思えばぜんぶ中途半端だ。何も生まない代わりに、何の責任も生じない気安さ。遠巻きな人生。

 事件が起きた。

 母親があたしのハイテックC0.4ミリをぜんぶ捨てた。筆箱に残った3本の生き残り。そいつらの一人がそろそろ仲間入りするはずだった、あたしの小さな王国。それがゴミの日にゴミになった。
 それでもまあ、怒るほどのことでもない。あたしは机に頬杖をついて考えた。今頃きっと、彼らは灼熱の焼却炉の中。プラスチックが溶けて、あと2センチのインクが剥き出しになる。使われなかった黒のゲルインク。この世に何の意味も生み出さずに消えていったゲルインク。あたしじゃなくて、例えば有名な大学教授とかに買われていたら、世紀の発見を記した文字の一部になれたかもしれないのに。でもきっと、そんな名誉なインクになれる確率は天文学的な数値なんだろう。受動的で、自力では何も生み出せない、誰かの目に留まってちょろっと恩恵にあずかることを夢見る存在。運の悪かったものは捨てられて、溶けて、灰になる。
 あたしは筆箱から、使い込んだハイテックCを取り出した。インクの残量、もうすぐ2センチ。タッチの差で生き残った1本。
 英語のノートを取り出して、真ん中を開く。その端にペン先を押し当てて、ぐりぐり塗った。ぐりぐり。ぐりぐり。B5サイズの白い紙面が、たちまち真っ黒に染まる。手のひらで触れるとひやりとした。
 夜みたいだ。眠りたいのに眠れない夜みたいだ。漠然とした不安と妙に醒めた未来。中途半端で宙ぶらりんな夜。
 インクの残量、2センチ弱。君の寿命はもう終わり。くるくる回して、ゴミ箱に放る。それから少し考えた。母親があたしを呼んでいる。橙色の夕焼け。夕飯の匂い。昼が終わって夜が始まる、中途半端な時間帯。

 あたしは立ち上がって、ゴミ箱に手を突っ込んだ。
 もう少し生かしておくことにした。

written: 2009.8.5