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努力は脳の可塑性を促す

年齢とともに「どうせ歳だから」「もう歳だから」といったセリフが多くなる。
ぼくはこの「歳だから…」というセリフが気に入らない。真実そうなのかを考えている。

同じ年齢なのに、全く違う考え方や行動をする。これは年齢とは関係なく、個人的な習慣や人生観の違いのように見える。

たしかに加齢と共に筋力や体力は衰えていくが、これは正常な老化である。異常なことではないのだ。
もし、加齢によっても筋力が右肩上がりに増えていけば、それを支える骨や腱や靭帯はたまったものではない。少しずつ低下させなければ、破壊されるのだ。

また、老人とは言えない年齢の人でも、高齢者に多い考え方や行動をしている人もいる。

ぼくのテーマは努力だ。

生きることに於いて、普段の意識づけによって人生が変わるということは、誰でも経験上理解できると思う。

そういった努力は、脳の可塑性への努力でもある。

神経系には、もし神経が障害されても可塑性の発現によって、その障害が補償され、適応する機能がある。

神経系の健常な発達には、感覚神経への適切な感覚入力が必要である。それにも臨界期がある。

しかし、年齢とともにその神経可塑性の発現は減少するが、言語機能は、障害されても年齢とはそれほど関係がなく回復するようだ。

可塑性の条件には、能動的、外的なプロセスが必要といわれる。
このnoteで記事を書くことの神経系への入力は、神経可塑性の発現に貢献しているといえる。

そして、最適な神経系の機能を実現するためには、常に感覚入力していくことだ。
これは「脳の栄養は刺激である」ということに関連している。

結局は、ぼくのテーマである「努力」の有効性の正しさを言いたいのである。

参考文献:
    A R.Møller 脳の可塑性 医歯薬出版