2/16 爆弾が落ちました。
今週はタフな一週間でした。
なので、記録に残したいと思います。
2月14日 月曜日
バレンタインデーの日。
三連休明けの月曜日でしたが、私は会社を休みました。
全てはここから始まっていたようにも思います。笑
2月15日 火曜日
私の右隣の岡ムーミンから、左隣の富澤ムーミンさんが、昨日被弾したと情報を得ました。
私はその日組合活動があって、20時頃まで会社に残っていて、富澤ムーミンも残業してました。上司もPCを消して私の組合活動が終わるのを待ってくれてました。
2月16日 水曜日
PM。私も被弾しました。上司から爆弾を落とされました。
その上司は今年から私の職場に配属された人でした。
私はいつも通り仕事をしてましたが、知らぬ間に地雷を踏んだようでした。
「忙しいという理由では済まないほど、あなたの落ち度が多すぎる」
「あなたの物言いか気に入らない」
「あなたは何も自分が悪いと思ってないんでしょう」
うんぬん…
私は、自分の欠点や落ち度を一方的に責められる環境になると、音をミュートにする技術にたけていて、上司からだいぶきつめの言葉を言われてたようですが、ほぼ記憶にありません。笑
それに、「自分の何が悪いのか」わからなかったので、私の態度は悪びれる様子もなく横柄だったのは事実ですし、「はい。はい。」「で、どうしたらいいんですか?」とその場は私も淡白に(キレ気味)対応してました。
とりあえず、上司の意図を私なりに汲み取って、お客さんには、何を言われても「申し訳ありません。」を突き通して、なんとか了承をもらいました。
そして、仕事おわりに、上司に、
「〇〇さんの命令、いや指示に従わずにすみませんでした。態度が悪くてすみませんでした。明日は在宅勤務の予定です。お先に失礼します。」
と言って帰りました。
帰りは岡ムーミンと一緒に会社を出ました。岡ムーミンが慰めてくれて、別れました。会社から駐車場へ歩いてる時、会社では我慢していた涙が溢れ出してきて、車の中で子供のようにわんわん泣きました。過呼吸になる程。
家に帰ったら、まだ誰も帰っていませんでした。
家族が帰ってきたら、なんで泣いてるの?って聞かれるだろう。
なんで自分は泣いてるんだろう…分からない。複雑すぎて理由が分からない。とにかく、涙が止まらない夜でした。
2月17日 木曜日
朝8時30分から組合の会議にZOOMで参加。
在宅勤務の始まりです。
昨日被弾した分、さらに仕事が溜まってました。(元々キャパオーバーで溜まってました)
そんな心の傷に塩を塗るように、新規の仕事が山ほど落ちてきました。
月曜日に休んだ分のツケが回ってきたのです。
昨日、私が被弾しているのをみている人がいました。
一年目の時に上司だった人で、その人が私が被弾した直後に「大丈夫?」とラインをくれてました。大量の新規の仕事をしながら、その人のラインを見て、昨日のことを思い出しては、泣いて。泣いて。自然と涙が溢れて落ちる。もう仕事は辞める。会社の退職マニュアルを見て、辞表をどういう理由で出すか考えてました。
「上司は私が会社から押し付けられた仕事をたくさんしているのを知っている。それなのに、私を責めて、味方になってくれなかった。なんなら、私を一方的に責め立てたのが悲しかった。悔しかった。」
「上司の指示は仕事の相手方にとても厳しいことを言わないとならない。相手の気持ちを測らない対応を、仕事とはいえ、相手方にひたすらに謝罪しながら交渉しなきゃいけない。こんなタフな仕事嫌だ、辛い。」
仕事を辞めるにしても、今抱えている仕事はこなさないといけない。心を鬼にして、行動を起こすことにします。
16時頃、私は上司に電話しました。
私は素直に、「私の何が悪かったのか?やり方が間違っているなら教えてほしい」と聞きました。
3年目が聞くようなことではないと思いつつ、プライドなんか捨てて、バカになったふりをして教えを乞いました。笑
電話の上司の声は低くて、「まだこいつ怒ってるのか!!!」と思いつつ、めげずに聞きました。
電話を切ってから、上司から「そもそも私の職場はレベルが低い、だから、あなたが正しい仕事のやり方を知ってるわけがない。これから一緒に職場のレベルを上げるようがんばりましょう」「あなたと岡ムーミン以外はちゃんと仕事ができていません」とメッセージがきました。
私は「3年目だけど、1年目だと思って教えてください。3年間で覚えた仕事の常識は、あなたの常識ではないかもしれません。」と返信して、その日は仕事を終えました。
上司とは少し和解できたような気持ちになれました。
私を評価してくれている、必要としてくれてる、それが分かったからだと思います。
だけど、まだ気持ちは曇り空、明日会社行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
2月18日 金曜日
「今日は平和に過ごせますように」お仏壇に線香を焚いて、先祖に挨拶して出社しました。
AMは相変わらず慌ただしく、気持ちはブルーのまま。
PM出社したら、「仕事量を減らしてほしい」と上司にお願いしようかと思ってました。けど、私が仕事ができなかったら、他の人が仕事を振られて苦労する。私だけ優遇される理由もないと思いました。
やっぱり私がするしかない、また怒られたら、その時はその時だ、その頃までには辞めてるでしょ!!!無責任になればいい!!!と気持ちを切り替えて、仕事に向き合うことにしました。
ご先祖様に願いが届いたのか、午後は平和で、溜まってた仕事をこなすことができました。(全部ではないけど笑)なんとなく気持ちは晴れました。
そして午後は、たくさんの職場の人たちが、心配の声をかけてくれました。
どうやら私が被弾した様子を見ていた・聞いていた人たちは多く、上司の言い方がきつい、指示内容が理不尽なのかと、私のメンタル状況を心配してくれていました。私の被弾状況は噂で広まり、職場の人の多くが、私の味方だと、わざわざ話に来てくれたのです。
上司も悪いと思ったのか償いのマフィンをくれました。
帰る支度をしていると、上司が誰かに呼ばれて席を外しました。
岡ムーミンと私は鬼がいない間に、たくさん話をしました。
私が被弾した時にどう思ってたのか、私はどんな話を上司としてたのか。
私の心理状況、仕事をやめようと思っていること…
仕事はやめないで、一緒に支えあって仕事をしていこうと…
多くの人に自分の存在を肯定されるだけで、こんなにも気持ちが楽になるものかと思いました。仕事をやめたいという気持ちは落ちついて、私を支えてくれている人たちのために、もう少し頑張ろうかなと思いました。水曜日は泣いて歩いた駐車場までの道のりも、金曜日にはこんなにも晴れやかな気持ちで歩けるものかと感動しました。泣
そして今日は2月20日 日曜日。
このタフな一週間を文字に書き起こして振り返ってみました。
2月14日という三連休明けの忙しい時に、私が休んだこと、富澤ムーミンも上司を怒らしていたこともあって、元々上司もストレスが溜まってたのかもしれません。
これを読んだ人は、相当上司がわるい人と思うかもしれませんが、上司は正義に尽くした人です。彼は正しいことをしているだけで、悪の習慣を正しいものに変える時、正義は悪に見えてしまいます。
上司も相当しんどいと思います。
「一緒にがんばりましょう」と言われた時、「はい」とすぐ言えない自分がいました。
職場の人に一緒に助けおうと言われても、違う仕事の可能性を探している自分もいます。だって、仲間は良くても、仕事内容のタフさは変わらない。
ただ仕事内容がタフな分、入社三年目の女性社員にしては、年収は平均よりも多くもらっています。有給も多く福利厚生も良い。仕事内容はタフだけど、働いた分の報酬が多い会社OR仕事内容は楽だけど、その分働く報酬は少ない会社を選ぶのか。それは人の価値観になると思います。
世間体や社会的信用を得られる選択なのか、人の価値観はさまざまなもので構成されているから難しい。
今週の出来事で、まだこの仕事を続けるのか、転職するのか決心はつきません。
ただ、会社員を続けることはとっても大変なことで、「仲間に引き留められたから」しか働き続ける理由はないかもしれない。
仕事でメンタルを病むってとっても簡単なこと。
「自分が悪いと思わない」「無責任に仕事をする」「都合の悪いことは聞かない」
自己中と思われるかもしれないけど、仕事を続けるなら、自分を大切にすることが何よりも大事だと思う。
一生懸命目の前を取り組んでいたら、絶対誰かが見ていてくれるはずだから。もし、誰も味方がいない壮絶な仕事なら、仕事を辞めればいい。辞めて次の人生のステップ踏めるあなたが羨ましい。
そんなことを思った3年目の冬。
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