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お世話とは 2

(前の記事の続き)
世話人が今週にも帰れるなら、それまで猫さんには病院に入院してもらい、それから面倒を見て貰えるのが猫さんにとっては一番良いのかな、と思っていました。
しかし、世話人の口調は保護を迷ってるようでした。きっと保護した後も長く世話をする事になるだろうと思ったのでしょう。自分はこれからも留守をすることがあるから悩むと。それはきっと、面倒を見る覚悟がなかったという事でしょう。
実はこの猫さんは、felvウイルス陽性(俗に言う白血病)で他の猫との隔離が必要なので、私も保護が難しい。最悪の場合を考えて、空き部屋を提供してくれる方にも連絡を取ったりしていました。(かなり無謀な策ですが)

そうこうするうち、病院に入院して4日目の夜、先生から電話がかかってきました。

「猫さん、昨日くらいから動きがあまり良く無くなってきています。」

嫌な予感がしました。病院も24時間先生が付きっきりで見ているわけではないので(夜は帰ってしまう)、もしかしたら、このまま一人で逝ってしまうかもしれないと。こうなったら仕方ないと、次の日その猫さんを自宅に連れて帰りました。

猫さんは力がほとんど残っておらず、小さなケージの中で横になっていました。それでもご飯には反応をし、顔を上げ、お皿の上で口を開けて食べる仕草をします。しかし、すぐに力尽きてお皿の中に顔を突っ伏してしまうのです。だんだん頭を持ち上げる力も弱くなって行くので、口の中に栄養ミルクを少し含ませてみました。でももう、飲み込む力も殆どありません。無理に食べ物はあげなくて良いと思いました。

静かに時間が過ぎてゆきます。

なでると、口を開け、声にならないかすれた声で、ニャー、ニャー、と私の目を見て鳴き、澄んだ緑色の綺麗な瞳で見つめてくれました。
痛み止めを入れた点滴をし、暫く他の部屋で休もうと少し横になりましたが、結局あまり眠れませんでした。

なので、猫さんの部屋で一緒に寝る事にしました。頭のそばに手を置いて頭を撫でると、手に頭を押さえつけるようにし、甘えているような仕草をしているようでした。こんなにいい子だったんだなと思うと、本当に辛くて仕方がありませんでした。
そして、そんな力もだんだん無くなって、やがて眼は虚ろになり、呼吸もため息のようになり、その子は次の日の早朝亡くなりました。

亡骸を綺麗にし、知人が買ってきてくれたお花を、その子の側におき、痩せきった体を可愛い椿の柄の布で包みました。

世話人に今朝亡くなったことを伝えると、ひどく驚いて、車で来てくれる火葬車に間に合うよう、次の日の夕方に帰ってきたのでした。(その行動力を病院へ連れて行くことに使えば良かったのになと思いましたが。)
なので、その子はお骨になる前に、生まれ育ったお庭と、世話人の元へ帰ることができました。お向かいさんも、猫さんの亡骸を見にきてくださり、世話人と綺麗なお花の絨毯を作ってくれ、その上に寝かされた猫さんをみんなで見送ることができました。

私は正直、この光景に違和感を感じていました。死んだ後にどんなに手厚いことをしても、それは生き残ったものたちの慰めにすぎないのだと思うので、むしろこの子が生きていた時にもっとやれる事があったのにと。
体調が悪そうであろうが、食べれいれば大丈夫(本当はちゃんと食べられていなかったかもしれない)と思い込んで病院へ連れて行かなかった人たちが、泣いたり、猫をお花で綺麗に見せたりしている様子が、見せかけの愛情に見えて仕方がなかったのです。

でもその猫さんは、それでもご飯をくれる世話人が大好きだったし、きっと恨んでなどいないでしょう。

それから1週間後、病院から病理検査の結果が出ていたので受け取りに行きました。
結果は、扁平上皮癌という診断結果でした。
早く見つけてたとしても、保護とケアは必ず必要だったろうし、きっと世話人は受け入れられなかったろうなと思うと、これはなるべくしてなった結果だったのかなとも思いました。

ただ、一般的にfelvウイルス陽性の子はあまり長生きできないと言われますが、この子は発症もなく7年間生きました。それは先生も驚いていた事です。
最期は辛かったかもしれないけれど、立派に猫生のゴールを迎えた、ある1匹の外猫さんを巡っての出来事でした。

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