裏加賀藩史‐狐月‐

玉川図書館の地下に分館があると以前紹介したかと思う。そこにある一般公開されていない図書の中に『裏加賀藩史』がある。18世紀に書かれた加賀藩の史書なのだが、当時から読むことができたのは藩主と重臣だけだった。なぜなら色々都合の悪いことが書かれていたからである。明治になり版籍奉還で加賀藩が無くなると新政府に収奪されたが、その直後に盗まれた。犯行は士族のダレソレとの噂が立ったが結局はわからずじまいで本も行方不明になっていた。何故その本が玉川図書館にあるのかわからない。とにかく私は念願かなって読むことができた。私が知りたかったのは狐月についてである。

そこに書かれてあることを分かりやすく要約してみた。分館の図書は持ち出しコピー不可だけでなくメモも不可である。本来なら記憶も持ち出し禁止なのだが、警備員にこっそり便宜を図ってもらい記憶の持ち出しに成功した。これから記すのは頭に焼き付けたものを書き出したものである。であるから所々間違いがあるかもしれないし、一部記憶が欠けてある部分は私の想像であることをお断りしておく。

昔、加賀は百姓の持ちたる国と呼ばれていたが、それは正確では無い。実際にこの国を治めていたのは大狐である。そこに前田利家がやって来た。加賀の現状を見て利家は困った。狐のせいで国が治まらないなんて侍の恥である。すると重臣の1人が「京都に妖怪を鎮めるのが得意な僧がいるのでその人に頼んでみては如何でしょう」と言った。利家は膝を打ちすぐに僧を呼び寄せ退治させた。僧曰く「狐を倒したわけでは無い。この地に半身、もう半身を京都の伏見稲荷に封印することにした。4年に一度、6月の満月の日に力が弱くなり一時的に狐が復活するから、その時は狐の機嫌を損ねないよう低調に扱うように」

こうして金沢民の間では6月を「狐月」と呼ぶようになり、4年に一度決められた地区の金沢民は狐の機嫌取りに油揚げをお供えするようになった。尚、この話は決してよそ者に口外してはならないと厳しく決められた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?