金沢百鬼夜行‐中‐

その男は喫茶店の窓辺に座り外の景色を眺めていた。男は何か見ているようで何も見ていない。その姿はまるで抜け殻そのものだった。

男の目の前には原稿用紙と万年筆が置いてある。原稿用紙には一文字も書かれていない。私と夕子さんは男の目の前の席に静かに座る。店員が注文を取りにやって来た。夕子さんは紅茶を頼み私はコーヒーを頼んだ。その間も男は空疎な目つきで窓辺を眺め身じろぎひとつしなかった。

「夕子さん、これは一体どういう・・・」わけなのか聞こうとしたら男は「もう少し待ってくれ。もう少しで降りてくる」と突然語り出したので思わずビクリとのけぞった。夕子さんは「お構いなく。いくらでも待ちます」と男に微笑んだ。

そうこうするうちに紅茶とコーヒーが運ばれてきた。一口飲むとコーヒーが口の中に広がった。考えてみれば喫茶店でコーヒーを飲むのは初めてだった。

「来た!」

男は万年筆を持ち原稿に手を見せた。すると窓辺から一筋の光が注ぎ窓から2人の天使がフワフワと入ってきた。私はその荘厳たる景色に言葉を失った。すごい!一体目の前で何が起こっているんだ。

天使たちは男の腕に止まり羽を休め男に何か耳打ちする。男は頷き万年筆を動かし始める。万年筆はよどみなく動き続け原稿が1枚、また1枚と書き上げられていく。

「この人の腕は天使の腰掛けなの。ね、凄いでしょ」

夕子さんは嬉しそうに語った。そう、この男は腕に天使を宿す男なのだった。

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