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11.娘は言ってあげない

「しの、蘇我馬子って知ってるか?」

 先日、実家に帰省した時に突然父にされた質問だ。
 聞くところによると、父は「歴史能力検定5級」の受験を11月末に控え目下勉強中らしい。そういえば、春先からリビングのテーブルにテキストらしきものが置かれてあったのを思い出す。父がいない時、母に「何これ」と聞いたんだった。

 このエッセイは、自分が毎日何を思い考えているかを自分で知るため、そして友人・知人への近況報告も兼ねて書いている。
 日々の過ぎていってしまう小さなことをすくって、自分という棚にはなにが収まっているのか、棚おろしの意味をこめて綴りたい。

 どうやら、テキストは歴史好きの父のために母が用意してあげたそうで、定年後の趣味になればとの思惑があるらしい。興味を持ってくれたらいいんだけど、と母は言った。
 春の時点では、父は実際に検定を受けるかは決めておらず、テキストをパラパラめくる程度だったと記憶している。

 少しだけ父の話をしよう。
 父は昭和34年生まれの62歳、仙台生まれ仙台育ち。工業高校を卒業後、車の整備等をしたのち、公務員になって現在まで公用車のドライバーをしている。
 すでに定年しているが、再雇用として働いているので、本当の退職はもう少し先だ。

 唐突だが、わたしは父が“キライ”だ。なぜかと言うと、なんかずーっとズレているから。いくつか紹介する。

 わたしが幼い頃、父は某工業高校出身なのにずっと仙台三高※出身だと嘘をついていた。(実の娘に学歴詐称するなー!)

 小学生の頃、話を聞いてほしい時にいつもテレビに夢中で全く聞いてくれず、なのに母とわたしが話をしているといつも全く関係ない話題をぶっ込んできた。(真剣な話してるのにー!)

 中学生の頃、わたしが本命の公立高校に落ちて、泣く泣く私立高校に入学を決めた後、「なんの相談もなくなんで決めた」と言ってきた。(いつも話聞いてないでしょ!)

 思春期の頃、わたしが一重まぶたで悩んでいると、「え、整形でもすれば」と言ってきた。デリカシーない。そして母は二重。父は右目二重、左目一重。(わたしの一重はあなたの左目のせいだろー!)

 時は進み最近、父方の祖母が亡くなり、お別れが済んで火葬場へ向かう時、複数台の車を使うことになった。
 わたしは夫の車に乗ったのだが、父は「たどり着けるか?先導した方がいいよな!」と夫の手前張り切った。がしかし、途中でいなくなり、結局父の車だけ大遅刻して到着した。父「ごめんごめん、迷っちゃった〜」。(喪主なのに!職業:ドライバーなのに!)

 先月、わたしのフォトウエディングの時、全ての支度が終わったが、父が見当たらない。・・・どこいった!!!!

 こんなわけで、“キライ”なのだ。娘のわたしの気持ち、少し分かっていただけただろうか?笑

 話は戻り、冒頭の会話。

父「しの、蘇我馬子って知ってるか?」
わたし「うーん、教科書のすごくはじめに出てくるよね」
父「おっかさん(父は母をこう呼ぶ)も知ってるか?」
母「名前だけは」
父「えー、もしかしてみんな知ってるのか。やべえなぁ」

 父の方を見ると、わたしが知っているテキスト以外にも参考書が用意され、細かい書き込みも見える。母の思惑を知ってか知らずか(多分知らない)、どうやら興味を持って勉強しているようだ。受験も決意したらしい。

 『徒然草』を書いたのは誰、という再びの父からの質問に、清少納言じゃない(正解は吉田兼好)、と答えたら「お前、何言ってるのや?!」とバカにされて、ムカっとしたので2階に上がり自室にこもった。
 深夜になり風呂に入ろうと一階に戻ると、まだ勉強している。真剣そのものだ。

 随分前に、母が言っていたのを思い出す。「お父さんはあんな感じではっちゃけて見えるけど、メンタルは結構弱いのよ」と。

 認めたくないが、わたしと一緒だ。
 プレッシャーに弱く、失敗が怖いので、想定に想定を重ねて準備しなければ安心できない。でもいつも元気で細かいことを気にしないキャラなので、弱い部分を見せるのも怖い。人知れず歯を食いしばる。(で、つぶれる。)

 お父さん、分かるよ。

 でもそんなことは言ってあげないのだ。

 歴史検定5級と言えば、小学校修了程度。
 小学生の子供たちと、父が同じ会場で問題を解いている姿を想像し、「受かるといいね」と心の中でエールを送りつつ、フンと鼻で笑いながら風呂に入る。

(※余談だが、工業高校をバカにはしていない。秋田に住んでいた時、工業高校で事務をしていたので、むしろ好きだ。だが、仙台三高といえば地元では有名な進学校なのだ。ちょっとひどくないだろうか?笑)

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